そのころ地球は寒冷化して、海面は現在と同じ高さまで下がっていた。かつて海だったところに利根川、渡良瀬川、荒川そして多摩川が流れ込んでいた。数千年間、その河川群が運んできた土砂が堆積し沖積平野を形成していた。ただし、この平野は、雨が降れば上流から河川の水が流れ込み、東京湾の海水の侵入と混ざり合い、何カ月も水が引かないままの不毛の大湿地帯であった。

 この姿は関東平野だけではない。日本列島のすべての沖積平野がこの姿であり、戦国時代までは不毛の大湿地帯であった。この不毛な大湿地帯が、江戸から21世紀までの近代日本の舞台となった。

自由に暴れていた日本の川

 1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は征夷大将軍となり、1603年に江戸に幕府を開いた。この家康は200以上の戦国大名たちを統制するのに巧妙な手法を使った。それは日本列島の地形の利用であった。

 日本列島の地形は海峡と山々で分断されていて、脊梁山脈からは無数の川が流れ下っていた。この日本列島の地形の単位は流域であった。家康は、この各地の流域の中に大名たちを封じた。

 戦国時代は流域の尾根を越えた領土の奪い合いであった。しかし、江戸時代は尾根を越え膨張する領地拡張は許されなかった。図4は流域単位で分割した日本列島の図である。

図4 日本列島の河川流域分割図
出展:国土交通省
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 戦国時代までは、全国の河川は制御されることなく自由に暴れていた。特に、河川の下流部では、川は何条にも枝分かれ、乱流しながら沖積平野を形成していた。そのどの沖積平野も真水と海水がぶつかり合った湿地帯となっていた。

 流域に封じられた大名たちと日本人は、外に向かって膨張するエネルギーを、内なる流域に向けていった。人々は力を合わせて扇状地と湿地帯に堤防を築いていった。その堤防の中に、自由に暴れまくる何条もの川を押し込めていった。