アリソン教授の事例研究もこの結論を裏付けるものだ。ヒロシマ以後の世界において、教授は2つの「トゥキュディデスの罠」を取り上げている。1つは、ソビエト連邦がアメリカ合衆国に対して世界の覇権を巡り挑戦した時代。もう片方は、統一ドイツが欧州最大の勢力となった1990年代だ。これら双方とも戦争には発展しなかった。これらは(アリソン教授の合計16の事例のうち)戦争が回避された4つのうちの2つだ(その他の2つは、15世紀末にポルトガルを追い越したスペインの例と、19世紀の初めにイギリスを追い越したアメリカだ)。

結論:非対称性がより大きな難題を突きつける?

 このように、20世紀初頭から現代にかけては典型的な「トゥキュディデスの罠」との類似性よりも「違い」の方が際立っているといえよう。新興の中国と(相対的な)地位を落とすアメリカの対立が「hot war」に発展する可能性は低い。

 実際のところ、「トゥキュディデスの罠」との違いが決定的なものとなるためには、指導者が理性的な判断をするという前提を置かなければならない。その点、中国の指導者は極めて理性的な戦略の持ち主といえる。私はアメリカの指導者に対しては中国の指導者ほどの信頼は置いていないが、彼は生涯、大統領であり続けるわけではない(習近平とは違い)。長期的には、アメリカの戦略も理性的なものになっていくだろうと私は考えている。

 差し迫っている脅威は「トゥキュディデスの罠」によるものではない。核兵器が比較的小規模な国家、あるいは国家以外の組織によって保有されることによる危機だ。その非理性的な指導者たちは、自暴自棄や何らかの誤解で戦争への階段を上るかもしれないのである。核武装した北朝鮮の金正恩がまっさきに想起されるが、それが、同様に予想がつかないドナルド・トランプというリーダーと対峙しているのである。

 米朝両国が置かれている状況を考えれば、両者が満足できる妥協点を見出すことは容易ではないと、アナリストの多くは考えていた。だが、トランプ大統領は北朝鮮との会談を中止すると一度は表明したものの、交渉と非核化に向けた会談への準備が進んでいる。ただし、予想不可の流動的な状況の中、確かに言えることは、現実的な準備もなく、いたずらに期待を高め、直後に裏切るという結末ならば、一連の急速な和解が起きる以前よりも国際情勢の行く末がいっそう危ないということだ。