鍋ものの具材を買うときの“楽しい悩み”といえば「きのこ」を何にするか。飾り切りで見た目も映えるシイタケにするか。しゃきしゃきとした歯ざわりのエノキタケにするか。だしがよく出るヒラタケを味わうか。ブナシメジ、マイタケ、エリンギもある・・・。
種類豊富なきのこを食べる機会に私たちは恵まれている。これほど身近にきのこを食べられるようになったのにも、栽培法が確立したなどの経緯があるはずだ。そこにはどんな技術革新があったのか。
今回は「きのこ」をテーマに、昔と今を前後篇で追ってみたい。前篇では、日本における各種きのこの栽培法確立の経緯を中心に見ていく。後篇では、国内のきのこ生産量首位を走る“きのこ総合企業”の研究者に、現在の研究開発とその成果について聞く。
「菌」とは「きのこ」のことだった
日本の食用きのこの多くは自生、つまりその地域にもとから繁殖していたものだ。人とのつながりの長さをうかがわせる出土品もある。秋田県鷹巣町の伊勢堂岱遺跡(いせどうたいいせき)からは、縄文時代後期のきのこ形土製品が出土した。また、岡山市の百間川兼基遺跡(ひゃっけんがわかねもといせき)からは、マツタケの形をした弥生時代の土偶が出土した。
「菌」という言葉は、今では「細菌」や「病原菌」を想起させるが、もとは「きのこ」を指していた。人と菌のつきあいは、きのこから始まったのだ。
自生するきのこ、あるいは切った木に生えているきのこを採るのみだった長らくの時代、嗜好性も伴い、きのこは「ハレの日」の食材として扱われてきた。その後、「生えているので採って食べる」から「生やして採って食べる」へ。日本人はきのこの栽培技術を築いてきた。そこには技術革新と、それを実現した人物の存在がある。
「独占すべきでなく」瓶栽培法を開発――シイタケ
シイタケは江戸時代、庶民の間で熱を帯びていた“初物買い”の対象だった。1686(貞享3)年には、過激な販売競争を制限するため、幕府がシイタケの初物買いを禁止する令を出したほどだ。