農協で職員の説明を聞き終えて、松岡義博氏の心をよぎったのは「これはどこかおかしいんじゃないか」という思いだった。
養鶏を始めてから1年ぐらい経ったある日、卵を納めている地元の農協から連絡があった。急いで現金を持って来てほしいと言う。行ってみると職員は次のように説明してくれた。「あなたの卵の売り上げよりも餌代が上回っています。現金を入れてくれないと、農協から借金をすることになりますよ」
それまで、松岡氏は農協から飼料(餌)を購入し、作った卵はすべて農協に納めていた。その際、卵が市場でいくらで売れているのか、そして餌代がいくらかなどを把握していなかった。計数管理に無頓着だったのは、確かに自分の落ち度だ。でも納得できなかった。これだけ手間隙かけて作って出荷しても元が取れないなんて、何かがおかしい。このままやり続けたら、いつか破綻するのは目に見えている。
松岡氏は、そもそもなぜ自分が養鶏を始めたのかを思い起こしてみた。「取れたての卵をお客さんに直接届けたい。“私が作った卵です” と言って届けたい」──。そう思って養鶏を始めたのだ。それなのに今は農協や卸売市場が介在し、最終的に誰が買ってくれているのか分からない。値段も自分でつけられない。
養鶏を始めてから、「どうもこれは自分がやりたかったこととは違うようだ」と薄々感じていた。くすぶっていた思いが次第に大きくなり、農協とのやり取りで、ついに決心がついた。「自分で直接、お客さんに卵を届けよう」
以来、約40年にわたり、松岡氏は農業の常識と闘い続けてきた。松岡氏が立ち上げた養鶏会社、コッコファーム(熊本県菊池市)は、社員約120名、売り上げが約25億円、経常利益が約5億円(2008年度)という日本有数の農業生産法人に成長した。2009年度は、売り上げ24億円、利益は4億円を見込む。
一転して田舎が魅力的に見えてきた
松岡氏が養鶏を始めるまでには紆余曲折があった。だからこそ養鶏への思い入れは深い。松岡氏は1949年、農家の長男として生まれた。中学を出て農業の専門学校に進み、一時的に家の仕事を手伝ったものの、「農業は性に合わない」と家を飛び出してしまった。
都会にあこがれて向かったのは、横浜だ。日産自動車の横浜工場で季節労働者として働き、自動車を組み立てた。工場の勤務時間が終わると、日雇い労働者に早変わりである。2~3日徹夜して働くこともざらだった。「自分が何をしたいのか分からない」という不安といらだちを、働くことで紛らわしていた。
ところが、そんな生活に終わりを告げる事件が起きた。自動車工場で溶接作業をしていたら機械に手を挟まれて大怪我をしたのだ。療養生活をしている時に、初めて自分とじっくり向き合った。「親父に引き止められるのを振り払って、ここまでやって来た。それがこのザマだ。俺は一体なにをやっているんだ」