北朝鮮「新型弾道ミサイル試射に成功」 安保理、あす緊急会合へ

地対地中距離弾道ミサイル「北極星2」の発射実験を撮影した写真。朝鮮中央通信が配信(撮影場所不明、2017年2月12日撮影)〔AFPBB News

 2017年2月12日、北朝鮮は約2日間にわたった安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領の初の日米首脳会談直後に弾道ミサイル発射実験を行った。発射のタイミングから見て、日米を牽制する狙いがあると考えられる。

 また、2006年から約3年おきに行ってきた核実験を昨年は2回も実施した。専門家は北朝鮮の核開発能力が着実に高まっていると見る。

 だが、北朝鮮が核開発を加速させれば日米間の強硬姿勢を強めることにも繋がる。実際、2月11日(現地時間)の安倍首相との共同記者会見で、トランプ大統領は「米国は偉大な同盟国、日本と100%共にある」との発言を行っている。

 これら一連の北朝鮮の行動にはどのような意味があるかを考察する。

 そのために、冷戦後の核兵器情勢(核政治)を概観する。複雑かつ非常に専門的な点が多い核戦略を理解するうえで大切な視点を、まず冷戦中の米ソ関係を例に1つ示す。

 具体的には、冷戦中、核政治は相互確証破壊(MAD: Mutual Assured Deterrence)を意味しだが、そもそも本当に相互確証破壊であったのかを考える。最後にこの点を踏まえ北朝鮮の行動を分析する。

核兵器による長い平和

 冷戦において核政治の中心は言うまでもなく米国とソ連の対立関係にあった。長期間の緊張関係にもかかわらず、2国間の戦争が起きなかったことから、米国人の歴史家であるジョン・ギャディス氏は核兵器による「長い平和(The Long Peace)」と冷戦を表した*1

 そして、一部の専門家は冷戦後の現在を「第2次核時代」と呼び、冷戦時代と区別している*2。ここで重要なことは、この専門用語の定義ではなく冷戦時代と現在の状況の違いである。

 第2次核時代の中心は、冷戦時代のような2大超大国間による対立関係ではなく、地域的に限定されてはいるが、より多くの核保有勢力の出現であり、核の多極体制への移行である。

 この時代の一番の懸念はいわゆる「ならず者国家」の核保有である。北朝鮮が顕著な例だが、冷戦中、国際政治への直接的な影響がほとんどなかった国々である。

 そして、この時代の中心はアジア(東アジアおよび南アジア)である。現に冷戦後の新たな核保有国家はすべてアジアから発している。

 2016年5月に当時のバラク・オバマ米大統領が現役大統領として初めて広島に訪問したことから、日本では「核兵器なき世界」の実現に前進したように思われたかもしれない。しかし、現実はこの理想の世界とは逆の方向へ(核戦力の近代化、増強)進んでいる。

 日本は改めて核保有国に囲まれている事実を再認識するべきだ。そしてこれらの国々は核兵器に戦略的意義を見出しているのである*3

神話だった冷戦中の核政治

 次に、核兵器をめぐる国際政治に関してよく誤解(神話とも言える)され、あまり疑われてこなかった重要な点を1つ考察したい。

 2大超大国間によって支配されていた冷戦中、両国は相手を自らの思想によって大きく歪んだ視点から見ていたという点だ。

 一般的に冷戦中の核政治は相互確証破壊と同一視されやすい。しかし、この理解は非常に限定的であり、なおかつ有害でもある*4。実際には文字通りの相互という状態からはかけ離れていた。

 第1に抑止は米国の核戦略にとって重要であるが米国の核戦略は常に核兵器の先制使用が基本姿勢であり、なおかつ米国の核戦力の破壊目標は、都市ではなく軍事目標(主として核戦力)であった*5

 実際の運用計画においては、相手の核攻撃に対する報復攻撃に集中するのではなく、状況次第では大量の核兵器の先制使用もあり得るという態勢を取っていた。

 これは軍事戦略に基づく合理的な考えとされた。しかし、実際にこれまでの米大統領には核兵器を先制使用するという意思はなかったことが、自伝などを通して分かってきた。

 米国のこの実際の運用計画をソ連は知っており、ソ連が相互確証破壊を受け入れない要因の1つとなった。相互という言葉からソ連の核戦略は誤って理解されやすいが、ソ連は相互確証破壊を受け入れたことはなかった。

 西側諸国においては相互確証破壊という言葉から核戦争に勝者は存在せず、合理的な政治の延長ではないと早くから考えられていた*6

*1=John Lewis Gaddis: “The Long Peace: Elements of Stability in the Postwar International System”, International Security Vol.10 No.4 (Spring 1986), pp. 99-142.

*2= 第2次核時代については以下を参照 Paul Bracken: “The Second Nuclear Age”, Foreign Affairs Vol. 79 No. 1 (Jan/ Feb 2000), pp. 146-156; Paul Bracken: The Second Nuclear Age: Strategy, Danger, and the New Power Politics (New York: St. Martin’s Press., 2013);Victor D. Cha: “The second nuclear age: Proliferation pessimism versus sober optimism in South Asia and East Asia”, Journal of Strategic Studies Vol. 24 No. 4 (2001), pp. 79-120; Colin S. Gray: The Second Nuclear Age (Colorado: Lynne Rienner Publishers, Inc., 1999) and Keith B. Payne: Deterrence in the Second Nuclear Age (Kentucky: The University Press of Kentucky., 1996).

*3=Bracken, The Second Nuclear Age, pp. 1-10.

*4=Payne, Deterrence in the Second Nuclear Age, p.1, 17

*5=Honore M. Catudal, Jr: Nuclear Deterrence: Does it deter? (London: Mansell Publishing Limited., 1985), pp. 203-204; Fred Kaplan: “Rethinking Nuclear Policy”, Foreign Affairs Vol.95 No.5 (Sep/ Oct 2016), p. 19.

*6=Bernard Brodie: “The Development of Nuclear Strategy”, International Security Vol.2 No.4 (Spring 1978), p. 74.