伝統のイルミネーション、日本の夏を飾る 東京

東京・目黒で2016年の夏に開催された「和のあかり×百段階段」展〔AFPBB News

 品川北馬場、駒込、元競馬場、駒沢、駒場、高田馬場・・・。

 山手通り沿いに車を運転してあちこち訪ねてみると「馬」にまつわる地名がたくさんあることに改めて気がつきます。

 駒沢大学や駒場東大前は駅の名前でもあり、ご存知の方が多いと思いますが、「元競馬場」はローカルであまり知られていないかもしれません。

 駒沢や駒場は目黒の地名ですが、山手通りを北上すれば「目白」という地名もある。白目、なら普通ですが、目が白いとちょっと困りそうです。同様に黒目は普通ですが、目黒という名前は、見慣れているだけで、変な名前ですね。

 今回は「目黒通り」沿いの地名と「さんま」などのゆかりを考えてみました。

油面・鷹番

 JR山手線・目黒駅前には山手線をまたぐように2つの坂道がついています。権之助坂と行人坂で、両者は西向きで合流して新目黒橋を渡り、坂を降り切ったところで山手通りにぶつかります。

 その谷底にあたるのが大鳥神社の交差点、ここで山手通りと目黒通りがクロスします。

 母方の実家が「行人坂」を上がって右に折れた角にあったので、こうした古くからの地名は子供の頃から親しみがあり、とても懐かしいものでもあります。

 そこから再び目黒通りを山の手の方に坂を上がって行くと、ヤマハのビルの隣に「目黒寄生虫館」という、知る人は知る特異な博物館があります。

 これを左に折れてまっすぐ進むと不動公園、そして目黒不動に行き当たりますが、今はそのまままっすぐ目黒通りを進むことにしましょう。

 上り切った所が「元競馬場」そして「油面」という不可思議な地名です。どうやらもともと競馬場があったらしい。

 現実には日露戦争後に作られ、昭和初期に姿を消したそうで、大正15年生まれの母が、母の母、つまり祖母ですが、これが亡くなったのを機に神戸から目黒に越してきた昭和11年頃には、すでに姿を消していたそうです。

 元競馬場というくらいですから、広々と台地が続いていたのでしょう。このエリアには清水台という地名も残っており、湧き水が出る台地なら馬が走るのには向いている。

 油面という不思議な名前は「油免」が由来という説があります。油は菜種油、すぐ北にある徳川家ゆかりの祐天寺に納める菜種油を産し、租税を免除されていた村だったから、であるという。このあたりは実は将軍家ともゆかりが深かった。