「一年の計は元旦にあり」ということで、1月1日の掲載としていただきました。年末にご好評を頂いた山手線や山手通りの歴史から日本を見直すシリーズから、今年は始めてみたいと思います。
年明けの「クイズ初め」として「しながわクイズ」というのを考えてみてください。
「しながわ」。山手線の駅にも名前があり、古くは東海道の宿場町だった誰もが知る地名ですが、よく考えると「しな川」という名前の川はあまり耳にしません。
いや実際、東海道北品川宿を訪ねてみれば、古式ゆかしい「しながわはし」が架かった川を見ることになり、真横には荏原神社の赤い太鼓橋も川をまたいでいるのが見えるはずです。
この神社は明治天皇が京都から「東京」に東遷した際、宮中スタッフが滞在したゆかりある場所であるぞよ、という看板が立っていました。ちなみに明治天皇は北品川本陣に滞在し、現在では「聖跡公園」として整備されている。
東海道北品川交差点のひとつ南が「聖跡公園」の四つ角にあたります。
さてはて、品川は確かに川が流れている。でもこの「品川」本当は何という河川が江戸湾に注ぐ場所なのでしょうか?
山手通りと山手線の交点
山手通りを品川から北上した経験のある方は大崎近辺、ソニーのある辺りですが、そこだけ道がクネクネと頻繁に曲がっているのに気づかれることでしょう。
一番派手な、ほぼ直角に曲がっているのは大崎駅です。ここで「山手線」と「山手通り」が交差しているんですね。と言うか双方の位置関係が逆になる。
それまで、本陣やら北馬場やら、海岸線スタートして川沿いに北上していた道が、ここで山手線の鉄路をまたいで右側に反れ、そこから先は山の側面に沿って、あるいは丘をまたいだり山の上に登ったりして進むようになる。
まさに「山手通り」と言われるゆえんです。
そこで山手線をまたぐ直前に、実は山手通りは「しながわ」も渡っているんですね。
「居木橋」いるぎばし、という目立たない橋で山手通りは「しながわ」を渡りますが、この橋の由来は古く、かつては「ゆるぎ橋」と呼ばれていたそうです。
揺れたんでしょうか・・・?
この橋のたもとにはかつて大崎の鎮守の神様を祭る社があり、たびたび風水害に遭遇したので、地元大崎村の人々が、現在の大崎駅西側に遷して改めてお祀りした・・・。
これが現在の大崎鎮守・居木神社の起源らしいのですが、「芦原」を「アシ」は「悪し」に通じるとして「吉原」に変えたのと同興のセンスを感じます。