前々回、お正月用と思っていた山手線の話題を記しました。忙しい暮れだけにそれほど読まれないのかと思っていたら、存外好評でほっと胸をなでおろしています。
山の手の話題をもう少し続けてみたいと思います。「山の手」が読めると、日本近代化の足取りが読め、意外な未来予測にもつながるかもしれません。
端点のある環状線?
日頃、見慣れていながら、疑問に思わないことは意外にあるものです。「山手線」は丸い緑と思っていますが、東京の西側を走る「山手通り」は全く環状線の形体をなしていません。東京の西側、武蔵野丘陵の「山の手」地域だけを走っています。
逆に電車の「山手線」は品川、新橋など港区のウォーターフロント、神田、御徒町などの典型的な下町も通っていて、およそ「山の手」ではありません。
山手通り、正確には東京都道317号線はしばしば「環状6号線」と呼ばれます。
しかし明確な起点があり終点があります。現在の行政区画的な基点は海岸通とぶつかる「新東海橋」交差点ですが、実質的には1つ北側を走る第一京浜が山手通りの南端と言っていいでしょう。
これは旧「明治1號國道」ほかならぬ「旧東海道北品川宿」が山手通りのスタート地点ということです。
今や地元商店街の様相を呈している、でも紛れもない旧東海道とのクロスポイントには「東海道北品川」交差点が今でも残っています。すぐ横には品川神社、京急新馬場駅もあります。
明らかに端点がある。それなのに、山手通りの正式名称は「環状6号線」カンロクと言う。不思議です。これはいったいなぜなのか?