地元の進学校に通っていた僕は、ある時なにを思ったか、東京の写真の専門学校のオープンスクールに親に内緒で行ったことがある。今考えると、逃避だったのだろう。難関大学を受験するプレッシャーとか、その後も勉強という競争が続いていくのだ、というしんどさから目を背けたかっただけだろう。とはいえ、何らかの技術を持つ者に憧れるという傾向はやはり昔から持っていたのだと思う。
恥ずかしい話だけど、刀鍛冶(かたなかじ)に憧れたこともある。自分にできるとは思っていなかったけど、もし人生に困ったら、刀鍛冶じゃなくてもいいから、そういう伝統工芸の職人に弟子入りして生きていこう、みたいなことを考えていた。「人生に困ったら」なんていう動機でやってきた人間が、長く辛い修行に耐えられるわけもないだろうし、相手も困るだろう。
製品でも芸術でも、何かを生み出すことには憧れる。それでいて、理系の大学に通っていて、そのまま行けば技術者として製品開発などに携われる可能性もあったかもしれないのに、あっさり中退しているのだから、自分でも何がしたいのかよく分からないのだが。
自分の力で何らかの価値を生み出す人たちの物語、3作品です。
一瞬にかける一生
明治時代、江戸からそう遠くはない丹賀宇多村の大地主の次男として生まれた静助。この男が、後に何代も語り継がれる男である。
明治の御一新によって、可津倉家は村を治める役割を失ったが、しかしとはいえ、可津倉家は相変わらず村人から頼られていた。肥沃な土地で、よほどのことがない限り飢えることのない土地で、人々は穏やかに暮らしていた。
静助は、そんな村人の中でも輪を掛けて穏やかに生きていた男で、穏やかというよりもぼんやりしていると言った方がはまるほどだ。
そんな中、あるきっかけから静助は、なぜか花火に魅せられることになる。杢さんという元花火職人の元で、花火作りを見学する日々が続く。