多くの卒業生たちが記録を残すことを好まなかったのは、文字として記録されたものが証拠となって異民族の学生やその家族に弾圧が及ばないかということを極度に恐れたからだという。
が、いつかまた、顔をあわせて自由に言論を戦わせることの出来る日がきたときのためにと、戦地や抑留先から戻ったかれらは互いに連絡先を探り合い、密かに同窓会名簿を編み続けていた。国交が断絶しているときでも様々なルートをつかって学友の行方をたどってはひとりひとりの連絡先を記録し続けていたのである。建国大学出身者、約1400人。だが安否がわからないものも多い。
心の支えになったのは「知の力」だった
五族協和という偽善のスローガンを、そのまま実践しようとして歴史の中で消えていったかつての若者たちは、どんな思いで学び、どんな戦後を生きたのか。日本、中国、モンゴル、韓国、台湾、カザフスタンと、各地に散らばる卒業生たちを訪ねる著者の旅が始まる。
存命の卒業生も、取材当時ですでに85を過ぎた高齢である。まさにひとりひとりとの一期一会の機会が積み重ねられていく。たがいの祖国が交戦状態にある、あるいは植民地をして支配する側とされる側に分かれているなかで、かれらはほんとうに対等な関係を築けていたのだろうか。それぞれ故郷をはなれて人工国家の満州で学ぶことを決めたのはどんな思いがあったからなのか。何をもとめていたのか…。
国民党軍の捕虜となり、国共内戦の最前線で戦わされた日本人学生。抗日運動に身を投じ獄につながれた中国人学生。ソ連に送還され収容所送りになった白系ロシア人の学生。戦後70年を生き抜いて、今日ようやく語られるそれぞれの人生はとても重い。