毒を消し、医者を殺し、名将をも動かした味噌の力

味噌は体に良いのか悪いのか?(前篇)

2015.11.13(Fri)漆原 次郎

 江戸時代までの薬学の知識をまとめた本草書では、医師の人見必大(1642頃~1701)が著した『本朝食鑑』の中に、味噌の効用が記されている。

<味噌は本邦、古より上下四民ともに旦夕の供。(略)一日も無しはあるべからざるなり>

(味噌はわが国では昔から士農工商の人びとが朝も夕も用いた。(略)一日もなくてはならない)

<大豆の甘・温は気を下し、中を寛し、血を活し、百薬の毒を解す。麴の甘・温は胃に入りて食および諸積を消ひて閉塞せしめず、元気を運し、血営を行す。塩の鹹・寒を得て、心・腎・肺・脾・肝に入りて、気血を歛め、筋骨を滋し、毒を解し、血を涼し、燥を潤し、痛を定め、痒を止め、またよく食欲を引きて、これに於い行く>

(大豆は、気の巡りをよくし、胃を寛がせ、血を活かし、解毒をする。麴は、胃に入って食べものや諸々を消化して詰まらせず、元気を運び、血行をよくする。塩は、心臓、腎臓、肺、脾臓、肝臓に入って、気と血液を縮ませ、筋肉や骨に栄養を与え、解毒し、血を涼にし、乾燥を潤し、痛みを沈め、痒さを止め、またよく食欲を引き出す)

『本朝食鑑』は、中国・明の『本草綱目』を拠り所にしながら、人見必大が検討を加えて解説したもの。味噌の効能の表現は、いささか過度にも感じられるが、万人にとって健康を得るための重要な食材と位置づけられていたことが分かる。

『本朝食鑑』における「味噌」の効能の記述。赤傍線の部分が、本文で紹介した部分(所蔵:国立国会図書館)
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「信州味噌」普及の契機は関東大震災と戦禍

 味噌は自作するものだとする「味噌買う家は蔵が建たぬ」ということわざもある。ただし、江戸の庶民はわが家で作るより買うほうが多く、遠く津軽や愛知などからも味噌が運ばれてきた。

 近現代になると、地域特産の味噌がその地域以外でも食される流れが加速する。そのきっかけの1つが、1923(大正12)年の関東大震災だった。

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