今週は常総市をはじめとする水害に続いて阿蘇の噴火と天変地異が続き、また国会前は安全保障法案をめぐって激しい攻防となっています。
こんな状況で、とても「微笑」ではないと思いつつ、つらつら考えてみるに、水害、火山のリスクから集団的安全保障まで、すべてに通底する重要な要素、社会の「微小栄養素」に相当するものに思い当たりました。
上に挙げた3つの問題すべてに、民主主義の根幹に関わる重要なポイントがあると思います。顕微鏡的に物事を注視するのと少し異なりますが、社会と歴史を大きなスパンで見、私たちの未来に本当に資する百年の計を考えてみたいと思います。
民主主義とは何なのか?
で、改めて「民主主義」とは何なのか?
専門家の難しい定義はさておき、あらゆる国民が知っていてよい範囲で、おさらいしてみたいと思います。
ある人は「民主主義は多数決だよ」と言うかもしれません。多数が賛成したものが通る。国会でもそうですね。いま法案が採決されるとすれば、議会で多数を占めた意見が主権者の意思、民意であるとみなされます。
では、100人の多数決の結果51:49で敗れた49はどうすればよいのか?
「この49も51に従って100という全体に従え!」という考え方を「全体主義」と呼ぶわけですが、日本では、たぶん義務教育に原因があるのでしょう、民主主義だと思い込んで、全体主義の主張を標榜する人をごく普通に見かけます。全体主義で分かりにくければファシズムと言ってもよいでしょう。
ファシズムはズボンのチャックなどの「ファスナー」と同様「ひとつにまとめる、束ねる主義」、十把一からげにする政治体制を示します。
100のうち49で多数決に敗れた意見は「少数意見」になります。この「少数意見」にも十分な配慮をしましょう、というのが「民主主義」で、日本は憲法以下、こちらの考え方で本来は動かされるべき国のシステムを持っています。
これは、最高裁判所判例には少数意見が常に付され、法と同じ拘束力をもって司法規範とされていることを想起していただければ十分と思います。