台風18号から変化した前線による記録的な豪雨によって引き起こされた鬼怒川の決壊は現在も救助・復旧の活動が続いている状態。何よりも心からのお見舞いと、安全の確保、一刻も早い復旧を祈らずにはいられません。
決壊発生のメカニズム解明、再発防止への取り組みなど、すでに多くの課題が指摘されています。ここでは、私たちが日頃見慣れてしまい、かえって気づかずにいる足元の確認から考えてみたいと思います。
そもそも、現在の日本には「十分安全と言えるレベル」にある堤防は非常に少ないと報じられています。
私は専門家でもなんでもありませんが、かつて理学部で学んだ一個人として合理的に検討してみれば、茨城県常総市のケースと宮城県大崎市のケース、両者に共通する地誌的な条件がはっきりあること、また同様のリスクは日本列島の随所に存在することが明らかです。
しかし、市当局はまさか堤防が決壊するとは想像だにしておらず避難の指示が遅れたためにより被害が甚大になった可能性が指摘されています。
どうしてこういうことが起きてしまったのか?
それには背景となる理由が存在すると考えられます。誰の居住地にも降りかかり得る治水灌漑の基本的な問題を、その源流から検討してみたいと思います。
伝統軽視への警鐘
鬼怒川という地名から、風光明媚な自然や観光ホテルなどイメージされる方も多いと思います。が、よくよく目を開いてみれば「鬼が怒る川」という名前は相当な迫力と言わねばなりません。
「鬼怒川」あるいは「荒川」「九頭竜川」など、日本全国の川の名前には、水の恵みをもたらしつつ、恐るべき威力も持った川本来のパワーを示すものが少なくありません。
昨年広島県内で起きた鉄砲水災害では、地名変更で用いられなくなったかつての土地の名が話題になりました。「蛇落地」。蛇が落ちてくる場所という名前、蛇の「巳」は「水」に通じ、古くから土石流の通り道であったことが察せられます。
様々な理由で用いられなくなった古い地名は古人の知恵、と言うより祖先が残した警鐘、警句でもあること、そうした叡智の面もそぎ落とし、由来の分からぬニュートラルな名前の造成地に作り変えられ、本来危険な地域に多数の住宅が造られた。
そこに自然本来の猛威が襲いかかり、甚大な被害が生まれた・・・。土石流については、こうした経緯がありました。
では「絹川」という美しい別名もあったとされる「鬼怒川」は、どのような越し方、来歴を持っているのでしょうか?
その開発の歴史を辿ると、ある事実が浮かび上がってきます。