エンブレムの使用中止を正式発表―20年東京五輪に新たな打撃

東京五輪の大会エンブレムの使用中止が決まり、記者会見で頭を下げる武藤敏郎事務総長(2015年9月1日撮影)〔AFPBB News

 二度目の白紙撤回・・・。

 偶然が重なると見るべきではないでしょう。新国立競技場に続いてエンブレム、オリンピック目当てのデザイン・設計を巡る不祥事には、明確な構造要因があると言わねばなりません。

 「佐野案」が選ばれたのが昨年の11月とのこと。既存意匠との類似性が指摘されて<ダメだし>が続くというのが、そもそも異常なことではないでしょうか?

 ダメなのなら捨ててやり直しが当然でしょう。半年以上の修正を経たはずの公開、その直後から剽窃の疑念が指摘され、釈明するはずの場でさらなるパクリが露呈・・・。で瞬殺停止。

 ここまで恥かしい田舎芝居を全世界向けに演じてしまった背景には、情報の非公開性、プロセスの不透明性、審査委員会その他、非人称の意思決定機関を通したことにする、その実は権威主義に流れやすい思考停止の常態化など、21世紀のクリエイティブが直面する面会謝絶級の危篤状態を示しているように思えます。

プロのもの作りとは思えない

 エンブレムの瞬殺停止、結論は当然と思いますが、改めて関連の記者会見などをチェックし、正直、我が目を疑いました。

 卑しくも「オリンピック」に関連する国際水準で、内外でオリジナリティを誇り得る芸術からの発言とはおよそ思われぬ内容を目にしてしまいました。曰く、

 「(「東京」の頭文字である)Tの文字を発想の核にしたい」

 「T」一文字だけで発想・・・そこから発展させてアルファベットのフォントも作ったと延々説明していますが、何でもできると言いつつ何もしない広告代理店の営業説明のように見受けました。

 「ディド、ボドニなどの既存フォント・デザインの力強さと繊細さ」

 そういうありものをなぞるところから考えるのを、オリジナリティを欠くアマチュアリズムと私は教えています。