夏休みの宿題対策に役立つ、いや立たないであろうお話を1つ。
子供の頃から音楽を作ってきて、特に中学時代以降、厳しい師匠に叩き込まれることで、善くも悪しくも骨の髄から芸術家になってしまいました。しばしば、世の中の価値観とズレいている自分を感じます。
例えば、市場原理を根本的に軽く見る習慣がついてしまった。「何でも売れればいいというもんじゃないさ」なんて言っていると、商いには向きませんね(苦笑)。
世界をどう見るか。宇宙をどう考えるか。人間の存在とは何か。自然はどのように作られているのか。幸せとは何か・・・?
こういった問いのどれ一つとして、マーケット動向を敏感に反映して商いが立つというようなことがありません。
私の場合、早くに死んだ父が経済学を志していたことから、10代の頃から経済学ファンとなり、40歳を過ぎてからコンスタントに経済コラムも書くようになりました。しかし、どうしても、上に記したような「世界をどう見るか?」以下の、やや遠目での眺望でものを考えてしまいます。
実のところ、こうした考え方は、芸術の仲間はもとより、国連機関や世界銀行などと話をする際、非常に有効でもあって、それを通じて多くの友達もでき、仕事が進んだ面もあります。
面白いと思うのは、仕事を進める「ために」身につけようと思うようなことでは、仕事は必ずしも進まないのですね。
韓国に「どうしたらノーベル賞が取れるのか、教えて下さい」という破天荒な委嘱で何度か呼ばれたことがあります。「日本にノーベル賞が来る理由」という新書を書いてから数年、そういうことが続きました。