最初に「終戦の日」に行う行事の告知をさせて下さい。東京大学本郷キャンパスで定期的に開催している「哲学熟議+哲楽遊戯」。
70年目の8月15日に、あの日を記憶している方々をお招きして開催することになりました。土曜日の午後、14時スタートで余裕をもったスケジュールで検討しています。
また、追悼として、チェロの古典と、私の書き下ろした「アンリ・デュティユの墓碑銘」という作品を演奏します。
例によって入場無料、受付アドレスgakugeifu@yahoo.co.jpまでお名前とご連絡先を記してメールでお申し込み下さい。1つのメールで2人まで受け付けますが、必ずすべての方のお名前の明記をお願いします。
正の遺産か負の遺産か?
「子孫のために美田を残さず」という言葉がありますね。子供のために「資産」を残すというとき、どのような「資産」であればよいか?
善くも悪しくも私の両親は戦争でどうしようもなくなった世代でしたので、広大な家屋敷や巨額の貯金などは残してくれませんでした。これは最初からそのように考えていたもので、戦争を通過した人は似たような考え方をしていたように思います。
「終戦になったら、軍票とかそれまで通用してたものが全部紙切れになった」
「家屋敷も全部燃え、樺太にあった家作はソ連に取られ、内地は家財道具も焼けてしまった、そんな焼け跡で丸裸からすべてやり直した」
大正末年、戦地に赴いた最も若い世代である両親は「子供のために残すもの」は2つだけ、と言っていました。
1つは健康な体を残してやりたい。生まれる前からシシャモをたくさん食べるとか、いろいろ工夫したのよ、と生前の母がよく言っていました。
もう1つは教育、能力あるいは手に職というべきか、頭で考え心で決断する力、これは育てなければというのが、強制収容所帰りの父と、ナパーム弾直撃の重傷から奇跡的に恢復した母の共通する考え方でした。