ギリシャ王オソン1世(ウィキペディアより)

 「ギリシャの王様はドイツ人」などと言うと、「何の話か?」と思われるかもしれません。

 「ドイツのアンゲラ・メルケル首相が『女王様』として君臨し、ギリシャ人を奴隷扱いしている」

 といった比喩だと思われるなら、それはちょっと違います。近代以降ギリシャがイスラム圏=オスマン・トルコ帝国から独立するに当たって、最初に即位したのがバイエルン国王ルートヴィヒⅠ世の息子オットーだったことを言っています。

 ちなみに即位してオソンⅠ世となったオットーの甥が有名な「狂王ルートヴィヒ」で、作曲家ヴァーグナーのパトロンなどとして有名なルートヴィヒⅡ世にほかなりません。

 あまりの不人気にオソンⅠ世はギリシャを追放されます。強制的に退位させられ、晩年は甥の「狂王」が(名ばかり)統治するバイエルンで、ギリシャの民族衣装を着けたまま隠遁生活を送った・・・。そう(名ばかり)のドイツ人ギリシャ王だったわけです。

 ギリシャ人なら誰もが知る基本的な背景なくして「西欧としてのギリシャ」という特異な問題を考えることはできないでしょう。そうした常識の源流を探訪してみます。

ポーランドよりはるかに東の「西欧」

ギリシャはポーランドより東に位置する

 そもそもギリシャが「西欧」というのが、地政学的に言って相当無理がある話です。冷戦時代、鉄のカーテンが降りていた「東西」の境目はドイツ国内にありました(東西ドイツの分断)。

 それより東にあるポーランドも、チェコも、ハンガリーも、ユーゴスラビア(当時)も、ブルガリアもルーマニアも「東欧」そのものであることを誰も否定はしないでしょう。ルーマニアは黒海に面し、イスタンブールは目と鼻の先です。

 さて、このルーマニアの真南にブルガリアがあり、ブルガリアの真南、つまり地中海に面したバルカン半島の南端が「ギリシャ共和国」にほかなりません。

 ギリシャはポーランドよりもハンガリーよりも東、トルコ共和国と国境を接した、まぎれもない「東の国家」であること。疑いようもない客観的な事実から、物事を考え始めるべきでしょう。

 何となく錯覚しやすい1つの理由は「イタリア半島の角度」にも理由があると思います。長靴のような形をしたイタリアは、地中海を南方向に伸びていますが、実は真南に向いているのではなく、大きく東に傾いています。