【特集】原爆忌、AFP収蔵写真で振り返る悲劇

原子爆弾が投下された後、廃虚となった広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム、1945年9月撮影)〔AFPBB News

 70年目の広島、長崎の日、私は7月から日本にいなかったため、原爆の日に特段の記念行事を主催したり、参加したりすることができませんでした。

 ちなみに10年前の原爆60年忌の際には大きなシンポジウムやメモリアルコンサートなどを開催しました。今年は8月15日に小さな哲学熟議を開催、静かに70年を想う予定です。

 そこでも同じ考えでいます。極く普通の生活をしていた私たち一般の人間に、現実にあったことをご紹介したいと思うのです。

「悲劇」は「劇」ではない現実

 70年と言えば短くない年月です。戦争の終わった1945年に生まれた人、例えばタレントのタモリがそうだと思いますが、すでに70歳、孫やひ孫がいておかしくない年齢ですし、古希を迎えずして生涯を閉じた人もたくさんおられることでしょう。

 それくらい年月が経ってしまうと、記憶は風化してしまいます。風化の何が恐ろしいかと言うと「概念」が先行し「出来事」が見えなくなってしまうことだと思うのです。

 「日本は核武装すべきか? すべからざるべきか?」

 といった問いは、概念をもて遊んでいるのであって、現実を正確に認識したものではないと言わざるを得ないでしょう。

 唯一の被爆国という、世界で最も強力な武器となり得る外交カードを持ちつつ、正規の外交ルートではほとんどそれを生かしてこなかった戦後日本。

 ここ15年来、私は芸術文化外交という、国対国の縛りを離れた場で、全面的に人類全体に対する犯罪としての原爆投下(を含む市街地爆撃・総力戦)大量破壊兵器そのものである原水爆自体の犯罪性を強調してきました。

 しょせんは文化外交、社会的に大きなことにはなりませんが、小さな範囲では深く心を動かしてきた手ごたえと確信を持っています。