【特集】原爆忌、AFP収蔵写真で振り返る悲劇

広島に原爆を投下した後、マリアナ諸島のテニアン島に帰還したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」(1945年8月6日撮影)〔AFPBB News〕

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 「戦争が良い」「戦争が悪い」といった議論は意味がないのです。

 戦争は戦争でしかない。そしてそれは基本、絶対的に悪いものでしかない。

 正義の戦争などという虚妄は犬にでも食わせることにし、また為政者や国家間で議論される各種の問題は横に起き、私たちごく普通の生活を送る普通の人々にとって戦争とはどういうものであるか、事実の一つひとつに注目して、天眼鏡で拡大し、深くそれを凝視する、目を背けず直視することが必要です。

 戦争は「悲劇」なんかじゃない。「劇」であれば、幕が閉じれば終わります。カーテンコールで、さっきビルの屋上から飛び降りたはずの歌姫トスカ役の歌手も元気に姿を見せるでしょう。

 残念ながら戦争は「現実」であって、安全な観客席から眺めたあと、家路につけるような代物ではない。

 「終わった後」にこそ、本当の惨状がやってくるのが「戦争」という現実であること。それをハッキリ認識しなければなりません。

「止められない現実」を恐れよ!

 戦争が終わったら終戦、ではありませんでした。国内に様々な物資はなく、特に食べ物は著しく不足していた。戦後に餓死した人も少なくありません。

 今回は昨日ある方からうかがったお話を記したいと思います。ここでお名前はあえて挙げませんが、戦争末期に赤紙が来て、国内で二等兵として通信隊に配属されていた、元兵士の方のお話です。あえて匿名としましたが、誰にでも訪れる可能性があったことです。

 昭和18年5月にご長男、また20年には第2子誕生の予定を控えたまま5月に応召し関東の部隊に配属されて通信業務に従事、翌月に生まれた次男の顔を見ることなく業務に当たっていたそうです。

 ちなみに、すでに東京は大空襲で灰燼状態、その焼け跡に赴いて、焼け残っている電線や電話線を拾ってくるのも1つの業務だったと言います。すでに十分戦争は末期状態、戦える余力など本当は残っていませんでした。

 が、その燃え残りのクズ電線を拾って千葉の基地に持ち帰り、使えそうな電線を選んでは中隊と中隊の間の電話線に再利用する――。こういった仕事にも従事されたそうです。