独政府、難民支援に約8000億円追加拠出へ

ドイツ西部ドルトムントで、鉄道駅に到着してバスを待ちながら「ありがとう、ドイツ」と書かれた紙を掲げる移民(2015年9月6日)〔AFPBB News

 9月2日「トルコ保養地の海岸にシリア難民の3歳児が溺死して打ち上げられた」という報道があり、世界に様々な衝撃が走りました。

 アイラン・クルディ君(3歳)、5歳になるお兄さんやお母さんも運命を共にしたとの報道、この悲報が引き金となってIS(イスラム国)以降の世界が大きく動き始めています。

 従来、難民の受け入れに消極的だった英国のデイビッド・キャメロン首相は、アイラン君の訃報がもたらされた直後の4日、数千人規模での難民受け入れを発表。

 5日、ドイツとオーストリアは国境解放を宣言、ドイツはオーストリアとの国境を開放、ハンガリーで足止めされていた難民8000人の第1陣がミュンヘン中央駅に到着、市民から拍手で迎えられたとの報道など、今まさに歴史が動き始めているのを感じます。

 私も最初、この報道を仕事をしながら耳にしましたが、少年のボートが転覆する経緯を耳にして、ふと手が止まりました。

 「アイラン・クルディ君の一家は、トルコの町ボドルムからギリシャのコス島を目指すボートに乗っていました。しかし、ボートが転覆して、その後海岸に打ち上げられた状態で発見されました・・・」

 コス島・・・ということは、少年が打ち上げられたのは、確かに現在の「トルコ」に間違いありませんが、そこは全欧州にとって歴史的に極めて重要な場所なのです。たった数日前、小さな命が失われた「その場所」について、たぶんキャメロン首相やメルケル首相も認識しているだろう「越し方」を振り返ってみたいと思います。

ヨーロッパ知性の原点

 アイラン君のボートが船出し、あえなく転覆して遺体が打ち上げられたのはリゾート地として知られるトルコ西部、エーゲ海に面したアナトリア半島の都市ボドルムの海岸でした。

 ボドルムは現在の名で、古代ギリシャ世界ではハリカルナッソスと呼ばれるポリスで、紀元前484年この地で歴史の祖ヘロドトスが生を受けています。

 トルコ側アナトリア半島のハリカルナッソスはエーゲ海を挟んだ対岸、ペロポネソス半島の強力なギリシャ人たちが植民市として建設したのが始めで、スパルタを中心とするドーリア人が入植したと考えられています。