しかし、彼らがこの時さらに驚いたのが、冒頭の事故分析だった。黒田氏らは、2013年にミャンマー国内で起こった事故の中から25件を選び、それぞれについて、日時や発生状況、原因、被害の大きさ、そしてその後採られた対策などを調べるように指示。セミナーが開かれていた2週間の間、毎日数件ずつ発表させたのだ。

日本の“痛み”も共有

 だが、取り上げられたのはミャンマーの事故だけではない。

 1962年5月3日21時37分、東京都荒川区の常磐線・三河島駅にほど近い線路上で、下り貨物列車の運転士が赤信号を見落としたことにより、脱線事故が発生。そこに、下り電車と上り電車も相次いで追突し、三重衝突事故となった。いわゆる「三河島事故」である。

 最初の追突事故の後、乗客たちが非常ドアを開けて線路上に降り、三河島駅に向かって歩き始めたところに3本目が走りこみ次々と彼らをはねたことから、死者160人、負傷者296人という多くの犠牲者が出た。

 翌1963年11月9日21時50分頃には、横浜市鶴見区の東海道線・鶴見駅と新子安駅の間で下り貨物列車の後ろ3両が脱線する事故が発生し、貨物列車が隣接の線路をふさぐ形で停車していたところに、横須賀線の上り電車と下り電車が相次いで衝突。

 上り電車の1両目が下り電車の4両目に突っ込み、車体を大破したことから、この「鶴見事故」も死者161人、負傷者120人を出す惨事となった。

 また、最近では、2005年にJR福知山線・塚口駅と尼崎駅の間で起きた「JR福知山線脱線事故」も記憶に新しい。上り快速列車の前5両が脱線し、先頭2両が線路脇の分譲マンションに激突したことで、死者107人、負傷者562人に上る未曾有の大惨事となった。

 黒田氏らは、これら日本の鉄道史上に残る事故の中から数事例を挙げ、それぞれ原因を解説。

 さらに、三河島事故を契機に自動列車停止装置(ATS)の敷設が急速に広まったり、鶴見事故以来、各要因が保守整備限度内にあっても条件が重なり合うことで起こり得る「競合脱線」に関する認識が広まり、発生メカニズムの解明や対策の検討が進んだことを紹介した。

プロジェクトを率いるJICの黒田定明氏(筆者撮影)
セミナーでは日本が経験した事故についても学んだ(撮影:JIC)