浮橋の「ポンツーン橋」を渡る大型トラック(東西経済回廊にて。筆者撮影、以下同)

地政学上の要衝、ミャンマーへの熱い視線

 2013年6月25日、東京・帝国ホテルの光の間は約400人の人々が詰めかけ、熱気で溢れていた。

 彼らの目的は、ミャンマーの最新の投資環境とインフラを中心としたビジネスの可能性について、国際機関日本アセアンセンターと駐日ミャンマー連邦共和国大使館の共催で開かれた投資セミナーだ。

 国家計画経済開発省のチョー・チョー・ウィン投資企業関係局次長が、2012年11月に改訂された投資法の中身や関税制度を説明したり、ダウェイやティラワなどの経済特区(SEZ)について紹介しながら投資を呼び掛ける。

 続いて登壇したキンサンイー副大臣は、進出に際し重要となるインフラの整備計画について問われ、「電力と水、そして運輸交通の優先度が高い」と述べた上で、「運輸交通については、現在、全国レベルを対象にした調査が進んでいる」と紹介した。

 こうしたミャンマー熱の高まりは、1980年代末に最大の援助国だったソ連が崩壊したことにより市場経済化と対外開放に踏み切らざるを得ず、「ドイモイ」(刷新)を開始した頃のベトナムを思わせる。

 1992年に日本、93年に世界銀行・IMF(国際通貨基金)の援助が再開され、95年にはASEAN加盟や米国との国交を正常化させるなど、着実に国際社会への復帰を果たしていくのに伴い、多くの企業が同国に注目するようになった。

 当時、「東南アジアに残された最後の市場」として外国投資が殺到し、97年のアジア通貨危機まで「アジアの工場」として脚光を浴びた様子は、まさに現在のミャンマーのようだったに違いない。