いまになって日本でもけっこう流行っている粒子線治療を勉強しました。1人で留学に行ったもんだからけっこう時間があるし、それまでの治療関係の論文を手当たり次第に読み込みました。
そのうちに放射線治療というのはこんなもんなんだという全体像が見えてきた。そこから日本の治療方法を見返すと、これは遅れていると。これは変えなきゃいけないと思い始めたんです。
臓器を残して治療ができるのだから、患者のことを考えたらそちらを選ぶべきではないかと。この前亡くなった中村勘三郎さんの食道がんにしても、子宮頚がんとか舌がんとか膀胱がんとかみんな臓器を残して治療ができる。それなのに、日本では全摘されちゃって後遺症で苦しんで、生活の質が悪くなる。
信用を得るために論文執筆に全身全霊
日本のがん治療を変えなければいけないと思って日本に帰国したんですね。帰国してからはさらに一段深く勉強するようになって、1年360日病院に出てきて朝から晩まで論文を読んで、過去のデータを調べたり論文を書いたりしていました。
そのときは、患者に向けての発信じゃなく、医者向けに発信しようと思っていたからです。医者が変わってくれれば、それが一番の早道でしょう。彼らは臓器を残しても治療できるということを知らないのかと思ったし。
川嶋 新しい治療法を知らないお医者さんを啓蒙しようとされたわけですね。でも、力のあるお医者さんであればあるほど自分の方法にこだわりがありませんか。
近藤 そうね。だから、私自身の発言を信用してもらわないといけない。そのためにまずは論文をいっぱい書いて、信用力をつけて、働きかけをしようと一生懸命やった。その頃はまだ珍しかった英文の論文もどんどん出しました。
一方で、いろいろ新しいこともやり始めました。
例えば悪性リンパ腫では、本来は内科が抗がん剤治療をするはずなんだけれど、これがあまりきちんとした抗がん剤治療をやっていない。一緒にやりませんかと持ちかけても怖がってやらないんですよ。
それなら自分でやろうと、海外のやり方を取り入れて抗がん剤治療を始めました。
当時は「放射線治療をしてください」と言って、悪性リンパ腫の初期の患者さんが来るんだけれど、3割ぐらいしか治らず、あとは放射線をかけたところ以外に再発する。がん細胞が全身に散らばっているのだから、最初から抗がん剤治療をやらなければいけないんです。
ところが、内科でやっているのは欧米よりも質量ともに劣った方法のままなんです。日本の悪性リンパ腫がなかなか治らない原因はここにある。そこで、内科医に抗がん剤治療をやりませんかと言っても何だか尻込みしてやらない。
で、自分でやっちゃえと。しかも患者は私がいる放射線科に来るからわけですから。数年経って成績をまとめたら、3割の治癒率が8割になっていて、それを内科系の学会で発表したら、放射線科医にやられたとか言われてね。ちょっと鼻が高くなった(笑)。