日本人の死因の圧倒的なトップはがんだ。2008年のがんによる死亡者数は34万2963人で、全体の3割以上を占める。男性は生涯で2人に1人、女性は3人に1人がかかる「国民的疾病」でありながら、意外にも、その心構えができている人は少ないのではないだろうか。

 金融の最先端で働きながら、6度のがん手術を乗り越えたサバイバーは、「プロの患者」として、早期発見の大切さ、治療体制の充実を訴え、死と向き合い、よりよく生きることの大切さを説く。(文中敬称略)

39歳からの6年間で6度のがん手術

関原健夫氏/前田せいめい撮影関原健夫氏(せきはら・たけお)
1945年中国・北京生まれ。京大法学部卒。69年興銀(当時)入行。取締役総合企画部長、みずほ信託銀行副社長、日本インベスター・ソリューション・アン ド・テクノロジー社長などを務め、2008年6月、金融の第一線から離れる。現在、財団法人日本対がん協会常務理事、中央社会医療協議会委員 (撮影:前田せいめい、以下同)

 関原健夫が大腸がんを発症したのは1984年、働き盛りの39歳の時だった。日本興業銀行入行15年目、ニューヨーク支店営業課長として、仕事が面白くて仕方がない時期。腹部に違和感を覚え、内視鏡検査を受診すると、すぐに手術を受けるように勧められたという。

 術後、がんは既に「初期」の段階を通り越し、「5年後生存率は20%程度」という厳しい宣告を受けた。実際、関原は90年までの6年間に肝臓や肺へ5度の転移・再発を繰り返し、合計6回ものがん摘出手術を受けた。(関原の近著『がん六回 人生全快』講談社文庫に、闘病の詳細が記録されている)

 当時は、今以上に「がん=不治の病」として恐れられていた時代だ。何度も絶望の縁に立たされながら、それでも、関原は仕事を投げ出すことはなかった。入院中でも、手術前の期間には、病室でスーツに着替えて職場に向かったり、知人と会食したりして「日常生活」を継続し続けた。

がん六回 人生全快
関原 健夫著、講談社文庫、680円(税込)

 もちろん、いつも平常心を保てたわけではない。「なぜ、酒もたばこもやらない自分が、39歳の若さでがんになってしまったのか」。移転・再発のたびに「今度こそ、本当にだめかもしれない」という思いが頭をよぎる。心が揺れて仕事が手につかないことも数えきれないほどあった。

 それでも、「あり余る資産があるならともかく、一介のサラリーマンにとっては、仕事を失ったら生活できない。仕事があればこそ健康保険で治療を受けることもできる」「がんになり、死を強く意識せざるをえない不安定な精神状態の中で、新たな生きがいを見つけて、打ち込むことなどできない。10年、20年会社勤め一筋の男には、仕事以外の道は簡単に見つからない。結局、今までやってきたことを必死にやる──それが精いっぱいだった」──。関原は、時間をかけながら、病気を抱えて生きていくことが自分の運命であると、受け入れていったという。

 「多くの闘病記や特攻隊員の手記などを読み、死に直面した先人達の生き様、死に様を必死に学び、死に向き合う努力をした」

 がんは、じっと寝ていて治る病気ではない。かといって、もう死んでもいいと放っておいても、平穏な死は訪れず、痛みに耐え、苦しまなければならない。結局、逃げられない以上、ベッドの上で震えているだけでは何の解決にもならない。「死ぬかもしれない病気だからこそ、それまでどう生きてきたのか、これからどう生きるのかに真剣に向き合わなければならない」のだという。