現状の「大学自治会=党派に支配されている」イメージを払拭し、誰にでも開かれた自治会と認知されなければならない。そのためにも何氏は「高校生徒会の延長」になる「学生の目に見える事業」はしっかりやらなければならないと考えている。

 しかし、「高校生徒会の延長」だけがあるべき姿かと問えば、答えはノーである。「社会に発信しない自治会はつまらない」というのが何氏の考えだ。

 まだ形にはなっていないし、簡単にできるとも思っていないが、目指すものとして彼は「公共性の再評価」を挙げた。

 東C自治会は、東京大学教養学部に属する学生の代表である。しかし、学生の総意ということで決議を上げても、学内では通用しても現状社会的な影響力を持たない。その上、学生のニーズも多様化しており全学生が一致できる論点も見つけにくい。

 学生の意見が一致するであろう「学費値上げ反対」のようなテーマを扱うなら、まだやりやすい。「とにかく反対」ではなく、ドラッカーを片手に経営学的視点を持ちながら当局と交渉するようなことは、今でもできる。

 しかし、そこから一皮剥けて、社会に影響力を及ぼせる大学自治会になるには、公共性についてこれまでとは違う発想で考えていかなければならないのではないか? 専門課程に上がった何氏は、今そんなことを考えている。

 例えばマイノリティの問題を考えてみよう。男なのに自分は女だと確信している、性同一性障害を持つ学生が入学してきたとする。彼は女として女子用トイレや更衣室を使いたいが、大学は使わせてくれないといったトラブルが発生した。その時、彼は大学自治会に解決を要請するだろうか?

 仮に、自治会が解決を要請されたら、自治会は彼の要求実現を「たった1人のわがまま」だとして拒否すべきなのか? 何氏は拒否すべきではないと考えるが、彼の要求に沿って大学を動かしたとして、その活動を社会にどう波及させていくのか?

 これは、代々の大学自治会関係者の全てが直面してきたと言っても過言ではない、答えを見つけにくいテーマである。学生自治会の委員長は、たいてい1年任期で、留年しない前提なら、長くて2年しかできない。そんな短い期間で、この難題を突き破ることは不可能に近い。

公共性の再評価と新全学連の誕生

 何氏に対する失礼を省みずに言えば、何氏も在学中にこの難題の答えは得られないだろうし、大学を卒業すれば大学とは違う世界が彼を迎えることになる。いつまでも自治会に関わっているわけにはいかない。