全学連を無理やり維持する、例えば代々木の日本共産党本部内に全学連本部を置くような、なりふり構わぬ禁じ手を使って存続させたとしよう。そんなことをしてもノウハウを蓄積した学生が反抗してきたら、民青が追い出される公算が極めて大きい。大学自治会に民青がいなくなり、「指導」ができなくなった全学連など、共産党には無用の長物でしかなくなる。

 以上の根拠より、民青系全学連は今年中、遅くとも今年度中に活動停止に追い込まれ、解散するだろう。

最大の全学連が解散することの意味

 民青系全学連の解散は、日本の社会運動史上最大級の大事件である。20代、30代の若い読者にはピンとこないと思われるので、簡単に全学連の歴史について触れておく。

 大学自治会は、終戦後速やかに結成された学生による自治組織である。基本の部分は、地域の自治会や商店会やマンション管理組合などとそう変わらない。しかし大学自治会は、そうした一般的な自治会の仕事に加えて、結成当初から政治性を持っていた。

 そうなったのは、終戦直後、ついこの間まで軍国主義を正しいと言っていた教師たちが、8月15日を境にして「民主主義」を唱え始めた無節操に対する学生の反発があった。

 そうした反発が最初に事件になったのは、1945年10月に茨城県水戸高校で発生した学生のストライキである。目的は、軍国主義者だった校長を罷免し、軍国主義教育にそぐわないとクビにされていた「進歩的教授」を復職させようとするものだった。学生運動と呼ばれる、学生の組織的政治闘争は、これが始まりである。

 水戸高校の運動に触発されて、大学に自治会を作ろうとする機運が高まった。1946年5月、早稲田大学で日本最初の大学自治会が結成され、以後多くの大学で自治会が作られていく。結成のスピードはどこも早く、同年11月には大学自治会の全国組織として全学連が結成される。

 裏には、当時のエリートだった大学生を党の支配下に置きたいと考えた日本共産党がいた。そうした経緯から当初全学連は日本共産党に従順であったが、共産党と学生の路線対立から全学連は徐々に共産党の路線から外れていく。