この頃の全学連は、国民世論を二分するような政治的大事件が起こると、必ずと言っていいほど大きな影響力を発揮していた。現在、反原発運動が盛り上がっているが、多くの反原発運動家たちが「自分たちの運動を先導していくのは全学連だろう」と考えるくらいの影響力が当時はあった。国際的にも“Zengakuren”は、日本の将来を左右するファクターの1つとして知られていた。
ところが日米安保条約の是非を巡って政府と反対派が争った安保闘争が終わった1961年、第17回全学連大会において全学連は分裂し、その後も紆余曲折を経て、現在、新左翼系の4派と、日本共産党がなおも支配下に置く民青系全学連の計5つが存在している。
日本赤軍の起こしたあさま山荘事件や、東アジア反日武装戦線の三菱重工本社爆破事件、中核・革マル派など新左翼セクトの「内ゲバ」と呼ばれる殺し合いなどによって、学生運動に対する国民の評価と期待は地に墜ちる。そんな中でも民青系全学連は、少なくとも80年代以降、他の全学連より1桁多い加盟自治会を持つ、最も大きな全学連であった。
そうなった理由は、民青が他の新左翼系と違い、暴力革命路線を取らず、比較的穏健な組織だと思われていたからだ(実際はゲバルト部隊を保有していたこともある)。
21世紀に入った頃から法政大学などの大学当局が新左翼党派を学内から追い出す圧力をかけ続けているが、こうした経緯があるため、今も民青だけはこうした圧力を受けていない。そんな全学連が消滅するということは、学生運動の歴史が終わることを意味する。
叛旗を翻したリーダーに聞く
東C自治会の話題に戻ろう。東大教養学部では以前から東C自治会の運営において、加盟している民青系全学連の影響が強すぎると不満が渦巻いていた。そのため近年では2010年、代議員から自治会の解散提案まで出されている。
全学連に問題がないとは言わないが自治会の解散までは必要ないとして、この提案は否決された。だが、日本共産党と民青に対する不満はなくなったわけではない。そして今年3月、東C自治会の常任委員会が全学連からの脱退を決議したのである。
全学連、そして日本共産党は驚愕した。代々民青が掌握していた、全学連の中核と言える東C自治会で、ついこの間まで民青として活動していた者たちが大量に離脱し、反民青・反共産党となって脱退決議が行われたからである。