大政党や大企業に逆らうわけだから、彼らの意を酌んだ反共攻撃があるのは当たり前である。それだけ我々は権力から脅威として恐れられているのだから、誹謗中傷されるのを誇りに思うべきだ・・・共産党員は、そんな“教育”を受けている。
だから、党外からの共産党批判が幼稚なものであるなら、論破できる自信を持つ共産党員は悠然と構えている。
しかし、共産党批判をする人には高い知性を持つ人も少なくない。共産趣味者に至っては不破哲三や志位和夫よりマルクス、レーニン、グラムシ、ネグリらの著作を読みこなすような人がごろごろしているのだ。
共産党が選挙で見せる独善的な姿勢を改めれば共産党はもっと伸びるくらいのことを言う人は、もっと多い。そうした批判は党員も「一定の理」があると分かっている。しかし、党がそうした批判を受け入れないのも分かっている。だから認めるのが怖くて、心ある批判も拒絶してしまうのだ。
加えて「居場所性」も大きい。党活動を本格的にやると党活動で1日が潰れてしまうほど忙しくなるため、時間的に党内でしか人間関係が築けないようになってしまう。党外に出れば孤立無援となる恐怖感から、おかしいと思っても党から出ていけなくなる。彼自身、党から出ることによる孤立の恐怖を克服するのに3カ月を要したという。確かにこれは「カルト」と言えるかもしれない。
「彼らは、私がこうして取材を受けたのも、まるで私がとんでもない極悪犯罪をしたかのように、口を極めて非難するでしょうね。批判拒否体質は本当に根深いですよ」
「共産党員・民青同盟員が、個人の立場で自治会運動に参加するのはいささかの問題もないと思うのです。だから今でも彼らとの付き合いは絶やしません。排除するのは学生の意向を無視した全学連・共産党の組織的な自治会支配で、民青排除ではないことは口を酸っぱくして言っておきたいですね」
孤立を覚悟し、党に逆らうと決心した何氏だが、全学連脱退の方針を決定した常任委員会では、出席常任委員全員が賛成した。この中にはもちろん民青同盟員・党員がいる。多くの民青たちも、以前からおかしいとは思っていたのである。
大学自治会は社会に発信できるのか
筆者は最も大事な部分、すなわち「大学自治会は、これからどうあるべきなのか」について聞いた。換言すれば、自治会は「高校生徒会の延長線上にある」べきなのか、それとも「高校生徒会とは別の性格を持つ」べきなのか。