9月19~23日、日本はシルバーウイークの連休で、モスクワでもしばし自由時間ができた私は久々にアナパへ飛んだ。

旧ソ連時代から抜け出せなかったワイン品質

 アナパは、モスクワから直行便が約2時間で結んでいる黒海沿岸の保養地。

CGVは、アナパ市内から60キロほど、サドーヴィーという村にある。静かな田舎町で、写真の通りが中央通り。朝、夕はアヒルたちが群れを作ってこの道を横断していく

 目的のワイナリー「シャトー・ル・グラン・ヴォストーク(CGV)」はアナパから丘陵地帯を自動車でクラスノダール方面に1時間ほど行ったところにある。

 私は2006年から毎年CGVを訪ねているが、このワイナリーとの出合いは2004年にさかのぼる。

 当時、イタリアワインの輸入会社を東京で経営していた私は、ロシアの食品飲料が西側の技術の導入で急速に改善されていく中で、ワインだけが取り残されたように、いつまでもソ連時代の品質を超えることができない状況を非常に不思議に思っていた。

 ブドウ品種こそ、シャルドネ、カベルネ・ソービニヨン、リースリングなど国際品種を使用しているが、その香り、味にそれぞれの品種の特徴を感じることができないのだ。

 1991年のソ連崩壊前には、グルジア、モルドバといったワイン生産国を連邦内に持つソ連は世界のワイン生産国として五指に入る存在だった。しかし、その裏で、今回の話の舞台になる黒海沿岸、クラスノダール地方のワインは、ほとんど話題に上ることがなかった。

 黒海を訪れる保養客が、安い地酒として滞在中にがぶ飲みするか、お土産として持ち帰ること以外、これといって特徴のないワインだった。

 私もこの地区のワインを数本持ち帰り、当時自社が銀座で経営していたワインバー「HIBINO1882」で希望者を集めた試飲会を何度か実施したが、毎回ひどい評価であった。 

グルジア、モルドバからの輸入禁止で市場は大混乱に

 ソ連邦の崩壊とともに、2大ワイン生産国を自国領から失ったロシアには、輸入という形で引き続き両国産ワインがロシアに大量に流入していた。

 それが、2006年に突然両国のワインがミネラルウオーターなどとともに輸入禁止となり、特にグルジア産ワインが棚の多くを占めていたロシアのワイン売り場は大混乱となる。

 その後、モルドバ産は輸入が再開されたが、グルジア産は引き続き輸入禁止のままだ。輸入禁止の理由は、ワインから有毒物質が発見されたためとロシア当局は言うが、信ずる人はいない。グルジアの現政権が存続する限り、グルジアワインがロシアに輸入されることはないだろうと多くの人は見ている。

 その結果として、グルジアワイン禁輸が黒海沿岸、クラスノダール地方のワインにスポットを当てることになった。

 

 国際会議などで自国産ワインを使用したいロシア政府は、当時経済発展貿易省の大臣だったゲルマン・グレフ氏を先頭に、多くの政府関係者が各地のワイン生産者を訪問、必要に応じて融資の相談を受けるなど、積極的に自国産ワインの生産と品質の向上を奨励した。

 そんな動きの中で登場したのがCGVの新世紀ワインだった。

 CGVの親会社であるアブローラ社は、1992年の民営化で私企業となった国有農園、旧「アブローラ」を数名のロシア人投資家が買い上げる形で誕生した。国有農園の土地、約3000ヘクタールも自動的にアブローラ社の所有となり、そこには500ヘクタールのブドウ園も含まれる。

世界水準のワイナリーを目指して建設

フランスの建築家フィリップ・マゼールの設計によるワイナリー建屋。私が訪問した時は、反対側で樽の保管棟の建設が行われていた

 それまで収穫されたブドウは、近隣のワイン工場に売却され、自社でワイン醸造を行うことはなかった。しかし、新たに経営権を握った投資家グループは、ここに世界水準のワイナリーを建設することを当初から計画した(写真右)。

 そして早くも2003年にはフランスのワイナリー建設専門の建築会社の手による近代的ワイナリーが完成、同年秋には80万リットルのワインが仕込まれた。

 こうして醸造されたワインは、2004年ボトリングされ、モスクワに運ばれ、いくつかのワイン品評会や、イベントに出品された。

CGVの売店に並ぶトップラインの製品の数々。この金額は工場価格で、モスクワではこの2倍近い価格で販売され、レストランではさらにその 3~4倍程度なので、ロシア産とはいえ、決して安いワインではない

 2004年10月、たまたまモスクワ市内で開催された「ワールド・ワイン・イニシアティブ2004」という企画展を覗いた私は、そこでCGVワインと驚愕の出合いを体験することになる(写真右)。

 CGVワインの特徴は、フランスから持ち込まれた近代的ワイン製造技術だ。

 ロシア投資家グループは、近代的ワイナリーの建設を進めるとともに、ボルドー型ワイン造りをフランス人の若き醸造家、フランク・デュセナー氏にワイナリー、ぶどう園経営の全権を委任する形で実現した。

 国営農園時代から栽培されているブドウ果樹の品質レベルが低いことを認識したデュセナー氏は、早速フランスの苗屋からシャルドネ、ソービニヨン・ブラン、カベルネ・ソービニヨン、アリゴテ、シラーなど8種類の幼樹を輸入、さらに、地元のブドウ「クラスノストップ」をフランスに送り、遺伝子のクリーンアップという作業を行った。

 

 これは、何代にもわたる雑交配のため、ブドウに本来のクラスノストップとは異なる種類のブドウのDNAが混入しており、それを除く必要があるため、ということだった。

フランスの味ではなくロシアの味を追究へ

 ロシア人投資家の希望とは異なり、デュセナー氏は、ロシアでボルドー型ワインを造ることに、それほどのこだわりを持たず、むしろ、地元のブドウ品種を使うことに情熱を燃やしている。DNAクリーンアップされた苗木は既にCGVのぶどう園に戻り、順調に成長している。

しっかりとクバンの地(このエリアをクバンと称する)に根を広げ、たわわに果実を実らせたフランスから持ち込まれたカベルネ種のブドウ。この後、約2週間ほどで収穫するとのことだった

 シラー、クラスノストップブレンドワインが誕生するのも時間の問題だ。

 今年会ったデュセナー氏は、昨年までの「ぶどう園、ワイナリー支配人」からCGVの活動全般に責任を持つ「総支配人」に昇格していた。 

 長男のサミュエルくんも2歳になり、奥さんのゲールさんもすっかり品質管理部長職が板についたようだ。

 三菱自動車の「パジェロ」を駆って、起伏の多い丘陵地帯を寸暇を惜しんで動き回るデュセナー氏に、「フランスに帰ってのんびりする時間ができるといいね」と言うと、「いや、信夫、人生は短い、時間があれば、京都で日本酒の醸造技術を勉強したいよ」と言い返された。骨の髄まで醸造家魂が染み込んでいるようだ。

デュセナー氏と奥さんのゲールさん(後ろ)。フランスの醸造学校で知り合った。品質管理など、事務色の強い仕事は、ゲールさんの担当。ロシアの土地にしっかりと根ついて、一人息子のサミュエルくんを育てながら、今日もワイン造りに取り組んでいる

 CGVにデュセナー氏を訪ねた夜、夕食に誘われた。

 フランス人の友人たちだと紹介されたのは、同じクラスノダール州にあるネスレのインスタントコーヒー工場の技術者たちだった。

 ひとしきり、フランス人から見たロシアとロシア人、という話題に花が咲いた。彼らが非常に好意的にロシアを見ていることが印象に残った。CGVの方でもデュセナー氏を支え、そしてワイナリーの隅々まで熟知しようとするロシア人スタッフたちがいた。

 デュセナー氏も言うように、彼は永久にこの地にとどまることはできない。ワイナリーを本当に発展させるのは、ロシア人スタッフをおいてないわけである。

外国人の力を借りて国を建設

デュセナー氏を支えるワイナリーのロシア人スタッフたち。この日はあるスタッフの誕生日。早速ワイナリーの片隅にテーブルを持ち出して、即席のパーティーが始まった

 資源輸出国として今や世界第3位の外貨準備高を持つロシア。

 この豊かな財力に任せて世界から買いつけるのは、自動車、機械など目に見えるものだけではなく、実はこうした外国人専門家の招聘も大きな動きとなりつつある。

 そして、その中でもフランス人の占める割合が高いことは特筆に価する。家族連れでロシアに赴任し、しっかりと現地に根を下ろす彼らと、単身赴任中心の日本人駐在員。

 この差が、今後どのように対ロシアビジネスに影響を与えるのか、しっかりと見ていきたいと思っている。