ナポリではなく横浜生まれ、
「ナポリタン」こそ日本の正統派スパゲティだ

2011.07.08(Fri)澁川 祐子

 入江の師にあたるニューグランドの初代料理長サリー・ワイルは、日本に本格フレンチを伝えたスイス人のフランス料理シェフである。ならば、入江がワイルからスパゲッティ・ナポリテーヌについてなにかしら教わっていたとしても不思議ではない。「ナポリテーヌ」は、日本人の耳には「ナポリテン」と聞こえ、それをさらに呼びやすく「ナポリタン」と変化させたとは考えられないだろうか。

 ニューグランド発祥説は、雑誌の記事やテレビ番組でもまことしやかに取り上げられている。違和感を覚えたままあてもなくナポリタン情報を集めていたところ、ネット上である記述をみつけた。それは、昭和前期に活躍したコメディアン・古川ロッパの戦前の日記に「ナポリタン」と書かれているというのだ(ブログ「爺の落書き 横浜生活」)。

 『古川ロッパ昭和日記 戦前篇』(晶文社)で実際に確かめてみると、1934(昭和9)年12月22日の日記に<三越の特別食堂てので、スパゲッティを食ってみた。淡々たる味で、(ナポリタン)うまい。少し水気が切れない感じ>とある。

 ロッパの食べたナポリタンがはたして現在のナポリタンと同じものだったかは不明だ。「水気が切れない感じ」とあるから、オーブン料理ではなく、茹でた麺にソースを絡めたものだろう。どんなメニューにせよ、「ナポリタン」というパスタ料理はやはり戦前から存在していたのだ。

コシのない麺には理由があった

 だからといって、ナポリタンにおける入江茂忠の功労がゼロだったとは思わない。

 入江は、スパゲティが日本人に受け入れられやすいよう、ひと手間を加えていた。7割方茹でたパスタを冷まし、5~6時間置いてからさっと湯通しする。柔らかくなった麺は、うどんに慣れ親しんだ日本人にとってなじみある食感にわざわざ仕上げていた。

 これはあくまで私の推察だが、トマトソースを使った西洋料理全般にナポリタンという言葉が使われていた。事実、1951(昭和26)年発行の『西洋料理の作り方三百種』(北川敬三著、ハンドブック社)には、「マカロニ・ナポリテン」という名前でトマトソースを使ったマカロニグラタンが紹介されている。いろいろあった「ナポリタン」の中で、炒めた具材とトマトソースにロングパスタを和えるという、現在のナポリタンの原型を世に広く提示したのが入江だったのではないだろうか。

 ホテルニューグランドの「THE CAFE」では、今でも当時のままのナポリタンが食べられる。ケチャップを使っていないだけあって、喫茶店のナポリタンとはひと味違う。甘さよりもさわやかな酸味が舌に心地よい。上品な味であることは確かなのだが、やっぱりナポリタンだと思わせるのは、その柔らかい食感のせいだろう。それだけ麺の柔らかさは、ナポリタンの決め手なのだ。

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