ナポリではなく横浜生まれ、
「ナポリタン」こそ日本の正統派スパゲティだ

2011.07.08(Fri)澁川 祐子

 日本にパスタが入ってきたのは、他の洋食と同じく開港以後の幕末から明治にかけてのことだ。

 この連載でおなじみ、1872(明治5)年に発行された仮名垣魯文の『西洋料理通』には、パスタのなかでも「マカロニー」を使ったスープが登場する。同年発行の敬学堂主人著『西洋料理指南』には、「竹管のような穴あきうどん」としてマカロニらしき挿絵が載っている。

喫茶店や食卓のメニューの定番となったナポリタン。柔らかめの麺に、ケチャップがたっぷり絡む。

 日本ではしばらくロングパスタよりもマカロニが主流だった。まずはスープやサラダの具として使われ、次にマカロニグラタンに代表されるオーブン料理が紹介される。ロングパスタを茹でて水気を切りソースと和えるという、いわゆるパスタの王道の食べ方は日本になかなか定着しなかったのである。

 カレーやカツに比べ、パスタは言うまでもなく米飯のおかずになりにくい。さらに、使い慣れていないフォークで、細長いものを巻いて食べるという食べ方を敬遠する向きもあっただろう。

 そもそもパスタ自体、第2次大戦までわずかしか日本で生産されていなかった。明治末期に新潟県で国産初のマカロニがつくられたものの、大量生産にはほど遠く、ほとんどを輸入に頼っていた。それゆえ、ホテルや高級レストランなど限られた場所でしか食べられない料理だったのだ。

謎に包まれたナポリタンの起源

 日本の食文化史で、パスタが日の目を見るのは、伝来から100年近くも経った戦後のことだ。

 戦後の食糧難の時代、戦勝国のアメリカから大量の小麦が援助物資としてもたらされ、パンをはじめとした粉食がさかんに奨励された。その中には、もちろんパスタも含まれていた。

 1955(昭和30)年、日本マカロニ(現在のマ・マーマカロニ)と、日本製粉による日粉食糧(現在のオーマイ)とが時期を同じくして設立される。両社ともイタリア製のパスタ製造機を導入し、パスタの大量生産に乗り出した。

 パスタが一般に出回るようになった頃、その普及に一役買ったのが「ナポリタン」だ。

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