もっとも、ナポリタンの麺が柔らかかったのには、調理法のみならず物理的な理由もあった。パスタの原料には硬質のデュラム小麦を粗挽きしたセモリナ粉を使うのが最良とされているが、アメリカから輸入された小麦も日本で栽培されていた小麦も、どちらも軟質のものだった。国産パスタには長らく、普通の強力粉や中力粉が使われていたため、どうしてもコシのない麺にならざるを得なかったのだ。

 今ではパスタの茹で方といえば、芯が少し残るくらいの茹で立てを調理する「アルデンテ」が当たり前である。でも、この言葉が普及したのはセモリナ粉100%のパスタが普通に手に入るようになった1980年前後と、つい最近のことだ。それまではあらかじめ茹でておいた、柔らかい麺を使うのがごく普通だったのだ。

ケチャップと「炒め」で大衆化

 ナポリタンが一般に広まるには、ニューグランドの一皿から、さらにもうワンステップある。

 トマトソースやトマトピューレから、ケチャップへの移行である。加えて、最後に油で炒めるという調理法が取り入れられたことだ。これは、おそらく焼きうどんのつくり方がまねされたのだろう。焼うどんは、麺を炒めて最後に味の決め手となる醤油を入れる。パスタが普及するまでの間、パスタ料理をうどんで代用することもあったことを考えると、うどんのつくり方をパスタに応用することへの抵抗はなかったはずだ。

 こうして、より手軽な料理へと変化したナポリタンは、町の喫茶店から家庭に至るまで広まった。昭和30年に国産パスタが登場した際、デモンストレーション用のメニューとしてナポリタンが採用されたことも普及を後押しした。昭和40年代には、学校給食のメニューにも採用され、ナポリタンはパスタ料理の代名詞となっていく。

 今や大人の郷愁を誘う懐かしのメニューになったナポリタン。その歴史をおぼつかない足取りで辿ってみたら、パスタ普及への長い道のりがあり、戦争の影があり、料理人の知恵が浮かび上がってきた。

 本格的な茹で立てパスタがいつでもどこでも食べられるようになった現在、あの柔らかい麺とケチャップの味は、もはや日本の食文化遺産といっても過言ではない。