皮肉なことに漁協が設立されたのは、球磨川にダム建設が始まった年だという。調べると確かにそうだった。1951年、熊本県は7つのダムと10カ所の発電所を建設するための「球磨川地域総合開発計画」を策定。漁協を1953年に発足させ、同年、県営「荒瀬ダム」の建設が始まった。

「漁協の設立趣意書は、俺の枕元で俺のじいさんが作った。漁協と俺は双子みたいなもんよ」と、吉村さんは寂しそうに電話の向こうで笑った。

 漁協の存在は、漁業環境を壊す荒瀬ダムの存在と共に始まった。その荒瀬ダムの撤去運動は、自然の川を取り戻そうと川辺川ダムの反対運動の中で生まれ、2017年にようやく撤去が完了したのに、時計の針は逆回転している。

川辺川ダム建設事業 位置図(出典:国土交通省ウェブサイト「事業評価カルテ検索」2025年度川辺川ダム事業再評価より)

ダムの目的・公益性は次々と消えた

 いったい、国土交通大臣は、清流を壊す川辺川ダムの何を「公益性」として事業認定申請書に書いたのか。読んでみると、そこには、当初の川辺川ダムの目的が、一つまた一つと消えていった歴史の一部が記録されていた。

「本件事業については、事業着手当時は、洪水調節、流水の正常な機能の維持を図るとともに、かんがい用水の補給及び発電」を行う多目的ダムだったと記されている。その計画遂行のための事業認定は、一度、2000年に行われた。

 しかし、「かんがい用水」は、受益者であるはずの農家から「水は要らない」と異議申し立てが行われ、利水訴訟に発展。国が敗訴した。負けた理由は参加同意書に死者が含まれているなど嘘が見つかったからだった。これを受けて2007年に農水省が利水計画を取り下げると、発電事業で参加する予定だった電源開発株式会社も、完成時期と費用負担が見通せないという理由で、参加継続は「困難」と判断したことが、申請書に書かれている。

 利水と発電の2つの目的を失い、熊本県知事が2008年に「川辺川ダムによらない治水」が民意だとして白紙撤回、2009年に国土交通大臣が中止を表明した。しかし、この間、特定多目的ダム法に基づく基本計画、そして、川辺川ダム工事事務所(現在、川辺川ダム砂防事務所)と予算は廃止されずに温存された。

 そのため、2020年の豪雨災害で、知事は前言を撤回し、「清流」を守る「流水型のダム」を容認するとし、国はダム事業を復活させた(「消えた川辺川ダム計画がなぜか復活、豪雨災害はダムがあれば本当に防げたのか」[2023.2.28]で既報)。

 結果的に、申請書に書かれた川辺川ダムの「公益性」は「球磨川流域における洪水被害を軽減」するとだけだ。それに対する反論が、公聴会では展開された。しかし、それは、現在に至るまで無視されている。