「悲しみの感情をせき止めてはならない」

──母親を亡くしたある女性が「母親の死について父親と話さない」と言った時に、南さんは、「父親と一緒に、亡くなった母親の話をして泣くべきであると言った」と書かれています。「悲しみをせき止めてはいけない。そうしないと母親が死者になれない」と語りました。これはどういうことですか?

南:人が亡くなった時に悲しいのは喪失感があるからです。大切に思う気持ちがなければ喪失感は起こるはずがない。悲しみを止めるということは、相手との関係を止めるということです。

 でも、「いなくなったからもう関係ない」とはなりませんね。死者はいますから。親は生きていたって、死んでいたって、親でしょう。生きていても死んでいても、大切な人は大切な人です。

 つまり死者がいるのに、そこに近づこうとしない。これは無理ですよ。生きている時に大切だった人が、死者になったら大切ではなくなるなんてことはありません。だからこそ、悲しみの感情を流さなければならない。感情というものは流れるのです。それを止めてはならない。止めるとあふれて違うところに害が出ます。

──しかし、感情を出すと何かと社会生活や人間関係に支障をきたすから、飲み込むわけですよね。

南:そこで重要なのは吐き出し方です。ちゃんと話ができる相手がいないと、感情を吐き出すことは難しい。話すということは、感情を流す水路を作るということです。話さない限り、どんな感情があるのかも分かりません。言葉は感情の器で、入れてみないかぎり色も味も分からない。

 でも、日本の特に高齢の男性には、黙って語らない美学があります。東日本大震災の時、多くの人が被災して家族を失い、ダメージを受けましたが、中でも昭和ど真ん中世代の男性たちは、自分の悲しみや切なさを堪えて生きようとする傾向が強くあります。これは必ず何かしらの形で問題になって出ますよ。

 震災から3、4年もすると、現地の情報があまり報道されなくなりました。僕はずっと押し黙った人たちの心の問題を心配していました。去年、宮城県から来られた被災をされた方と話をする機会があり、その話をしたら、やはり今も新聞などで報道されているよりもはるかに多く、現地ではうつ病やアルコール中毒に苦しむとくに高齢の男性たちが大勢いるのだと言っていました。

 堪えることには限度があります。人間は皆そんなに大きな器は持っていませんから、適度に感情を流さないと氾濫してしまいます。