ロシアにおける反体制活動家やジャーナリスト、実業家らを狙った「暗殺の履歴」

 これまでプーチンを批判した反体制活動家やジャーナリスト、実業家、元ロシアの情報機関員はことごとく暗殺されている。主な出来事は次の通りだ。

・1998年10月、ロシア連邦保安庁(FSB)長官だったプーチンはアルファ部隊とヴィンペル部隊を1つにした特務センターを設立。

・2002年3月、チェチェン独立派の指揮官アミール・ハッターブ氏を神経剤が塗られた手紙で毒殺。FSBの犯行とされる。

・03年7月、ロシア政府の腐敗と組織犯罪を批判していた調査報道ジャーナリスト、ユーリ・シェコチーヒン氏が不審死を遂げる。

・04年2月、チェチェン独立派の最高指導者ゼリムハン・ヤンダルビエフ氏をドーハで爆殺。カタール当局は3人を逮捕。このうちロシア大使館員1人は外交特権で釈放され、GRUの工作員2人が起訴される。

・04年9月、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領候補に猛毒のダイオキシンが盛られる。美男子のユシチェンコ氏はアバタだらけの顔に。

・05年3月、FSB特殊部隊がチェチェン独立派の最高指導者アスラン・マスハドフ氏を殺害。

・06年6月、FSBがチェチェン独立派の最高指導者アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフ氏を殺害。

・06年10月、第二次チェチェン戦争を報道したロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんがモスクワの自宅アパートのエレベーター内で射殺される。04年9月のベスラン学校占拠事件の現場に向かう際も機内で毒を盛られ、意識を失う。

・06年11月、元FSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210で毒殺される。英政府はKGB元職員のロシア人実行犯2人の引き渡しを求めるもプーチンは応じず。英公聴会の報告書は「おそらくプーチンやニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は承認していた」と結論付ける。

・08年9月、ウィーンでカザフスタン国家保安委員会(秘密警察)元議長アルヌール・ムサエフ氏がロシア語を話す4人組に誘拐されそうになる。

・09年1月、チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフ氏のボディガード、ウマル・イスライロフ氏がウィーンで暗殺される。

・09年3月、ドバイで元GRU特殊任務部隊司令官スリム・ヤマダエフ氏が射殺される。

・12年11月、ロシアの内部告発者アレクサンドル・ペレピリチニー氏がロンドンでジョギング中に不審死。米英の情報機関は暗殺とみているとバズフィードがスクープ。

・15年2月、反政府運動を展開していたボリス・ネムツォフ元ロシア第一副首相がモスクワで射殺される。

・15年5月と17年2月、ロシア野党政治家ウラジーミル・カラ=ムルザ氏が2度にわたって毒を盛られる。カラ=ムルザ氏は23年4月、国家反逆罪などで禁固25年の刑を受けるが、その後の身柄交換で釈放。

・18年3月、英イングランド南西部ソールズベリーで元二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏と娘ユリアさんを神経剤ノビチョクで毒殺未遂。警官と市民計3人が巻き添えになり、うち女性1人が死亡。

・18年9月、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団プッシー・ライオットの非公式報道担当者ピョートル・ヴェルジロフ氏がモスクワで毒を盛られる。

・20年8月、空路モスクワに向かうナワリヌイ氏が毒を盛られる。

・23年8月、反乱を起こした「プーチンの料理番」こと露民間軍事会社ワグネルグループ創設者エフゲニー・プリゴジン氏を乗せた民間航空機が墜落。乗客7人乗員3人が全員死亡。

【木村正人(きむら まさと)】
在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争 「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。