暗殺兵器を開発・製造する秘密施設「カメラ」

「カメラ」は1921年ウラジーミル・レーニンの秘密警察の一部として設立され、スターリン時代には囚人を使った人体実験を行っていた悪名高き毒物研究所だ。 標的を死に至らしめるだけでなく、死因を「自然死」に見せかけたり、医師や法医学者を混乱させたりする暗殺兵器を開発している。

 放射線を照射したタリウムを用い、胃炎のような症状で死に至らしめようとしたニコライ・ホフロフ事件(1957年)や、特殊な傘を使ってリシンを注入したゲオルギー・マルコフ事件(1978年)の暗殺兵器は「カメラ」で開発、製造されたと考えられている。

 プーチン大統領批判の急先鋒だったナワリヌイ氏は20年8月、コリンエステラーゼ阻害剤グループの物質が盛られて重篤な状態となり入院、その後ベルリンに医療搬送された。コリンエステラーゼ阻害剤は農薬として使われ、化学兵器のサリンやVXガス、ノビチョクにも含まれる。

 23年12月に北極圏ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所に移され、翌24年2月16日に獄死。当時のタス通信によると、ナワリヌイ氏はこの日刑務所で散歩した後、気分が悪くなり、すぐに気を失った。医務班が駆け付け、救急車が呼ばれた。

 蘇生処置が施されたが、ナワリヌイ氏は回復せず、救急隊員は死亡を宣告した。2月13、15日にはウラジーミル地裁による控訴状のビデオ審問に参加しており、体調は極めて良好だった。ナワリヌイ氏を含めた身柄交換が間もなく合意されるとの観測が流れていた。