過去には決選投票で自民党候補者同士が戦ったケースも

 決選投票で揺れた首相指名選挙としては、1994年のケースも有名です。

 少数与党だった非自民連立の羽田孜内閣がわずか64日で総辞職すると、ただちに首相指名選挙が行われました。非自民連立側は、自民党を離党した首相経験者の海部俊樹氏を擁立。対する野党の自民党は社会党(現・社民党)や新党さきがけと組み、村山富市・社会党委員長を首相候補にします。

 1回目の投票では、両氏とも過半数を取れず、2度目の投票へ。決選投票では村山氏が選出され、「自社さ」3党による連立政権が誕生しました。自民党とその仇敵だった社会党が政権をつくるという、当時としては信じられないような政権が決選投票の末に出来上がったのです。

 自民党から2人の首相候補が決選投票に臨んだケースもありました。「40日抗争」と言われる内紛によるもので、消費税のない1979年のこと。自民党は当時、「一般消費税」導入を訴えて選挙戦を繰り広げたものの大敗し、過半数を割り込みました。

 大平正芳首相の政敵だった福田赳夫氏(前首相)は、大敗の責任を取って首相を辞任するよう大平氏に迫りましたが、大平氏はこれを拒否。衆院の首相指名選挙には自民党から大平、福田両氏が名乗りを上げる異例の事態となったのです。

 衆院の首相指名選挙では、大平氏が135票、福田氏が126票。いずれも過半数に届かず、舞台は決選投票に移ります。2回目の投票では、252票という大量の無効票が出る中、大平氏が制し、福田氏を退けました。“大福戦争”と呼ばれた激しい抗争は自民党の分裂に至るのではないかとも評されました。

 しかし、今回の首相指名選挙は40日抗争どころか、もつれる要素が見当たりません。2月18日から始まる特別国会では、高市氏が第105代内閣総理大臣に選出され、第2次高市内閣を滞りなく出発させるでしょう。

フロントラインプレス
「誰も知らない世界を 誰もが知る世界に」を掲げる取材記者グループ(代表=高田昌幸・東京都市大学メディア情報学部教授)。2019年に合同会社を設立し、正式に発足。調査報道や手触り感のあるルポを軸に、新しいかたちでニュースを世に送り出す。取材記者や写真家、研究者ら約30人が参加。調査報道については主に「スローニュース」で、ルポや深掘り記事は主に「Yahoo!ニュース オリジナル特集」で発表。その他、東洋経済オンラインなど国内主要メディアでも記事を発表している。高田氏の近著に『調査報道の戦後史 1945-2025』(旬報社)がある。