*イメージ画像(提供:nekokawaodori/イメージマート)
計画にあったルーティーン通りに、早朝から選挙区内の各所に立った。月曜日は伊勢市駅北口に、水曜日は幹線道路脇に、金曜日は鳥羽市の離島連絡船ターミナルに……というように。
「大きな道路で辻立ちをして手を触れ」
幹事長だった岡田克也からもそう言われていた。立憲民主党のセミナーでも、具体的にどのような活動をしたらよいのか、指導を受けた。その手順に従って毎日N君と行動を共にした。彼は三重県第2区選出の中川正春衆議院議員の秘書だったが、次の選挙には出ずに引退を表明していたことから、私の秘書役に就くことになった。
地道にポスター貼りを続けるも…
とにかくポスターを貼り巡った。主要道路などを車で走りながら、ポスターを貼れそうな場所、あるいは貼った形跡のある家屋の壁などを定めて、車を止めてはそこを訪ねた。
これまでの取材活動からすれば、突撃でピンポンを押すことなど、当たり前のことだった。そこが空き家であれば、お隣を訪ねて持ち主や管理者を聞き、その所在を訪ねて歩いた。そしてたどり着いた管理者の承諾を得て、ポスターを貼った。そうやって事件の当事者を探し当てて取材をすることとなんら変わりはなかったが、N君はその行動を「探偵ごっこ」と呼んで驚いていた。それでも、確実にポスターを貼り出す数が増えていくことに、妙な達成感と喜びもあった。
中でも力を注いだのは、自民党現職のポスターが貼ってある隣に私のポスターを並べて貼ることだった。自民党の支持者であるのなら別だが、意外にも知人に頼まれて貼ってあるだけだという家も多く、頼めばだいたい隣に張り出すことを許してくれるところが多かった。
そうやって結局、自分でお願いして300枚は貼った。
日増しにポスターが増え、街の風景も少しずつ変わっていくことは、見ればわかった。
ところが、だった。しばらくして選対からクレームが入る。
「毎日、何をやっているか、わからない」
私たちの活動を把握できないことを言ったものだった。