メーデーの会場では、参加した組合員を前に、私が来賓席に座っているにもかかわらず、
「この地域に寄り添わない候補者など、私たちは支援しません!」
と、演説でぶち上げていた。喧嘩を売られているとしか、思えなかった。
まとまらない選対事務所、ついに県連代表の代議士を交えての協議が
それが私に対するものであるのなら、まだ我慢もしただろう。だが、それが次第に私のスタッフにまで及ぶようになった。それでN君も疲弊したり、へこんだりして事務所に帰ってくることも多くなった。
「青沼さんが直接交渉してポスターを貼りまくっていることを報告したら、『俺はようポスターを貼らんのや!』と言われたんですよ」
そう言って悲しい顔をして見せたこともあった。
これはまずい。そう思って、幹事長だった岡田克也にも「暴言が酷い」と相談したことがあった。だが、岡田克也はこう答えた。
「政治家なら、自分でなんとかしなければならない」
それももっともなことだった。
そのうちに、後援会長から選対委員長と事務局長の3人と、私とN君をはじめとするスタッフで、食事会をしたいという申し出があった。今後の選対のあり方について、親睦をかねて話し合いたいというものだった。
だが、私はその申し出を断った。他のスタッフの気が進まなかったことと、私には「歓迎会」のトラウマがあったからだ。また酒が入ると何を言われるか知れたものではない。
だが、会話をしないということでもなかった。話をするのであれば、アルコール抜きでしたいと伝えたところ、協議を持つことになった。
当日は事務所の3階に向こうの3人と、私とN君がいた。喧嘩になってもいけないので、事情を説明して県連代表の中川衆議院議員にも加わってもらった。