株式市場や物価変動まで管理しようとした結果…

 当時の日本では、価格や資金の流れが政府の管理下に置かれ、自由な取引は大きく制限された。その代わり、国内秩序の維持や動員体制の構築が重視され、国境線の内側では一定の統合が進み、表面的には格差が緩和されたようにも見えた。

 国家の関与は、危機の時代に混乱を抑える効果を持つ。しかし、その状態が長期化すると、価格が本来担っていた「経済の状態を知らせる役割」は次第に弱まっていく。金利や国債市場が政策に従属することで、どこに歪みが蓄積しているのかが見えにくくなり、非効率が静かに積み上がっていく。

 1930年代から40年代にかけて、その介入範囲は段階的に拡張していった。当初は政策金利や国債利回りが抑えられていたが、やがて株式市場にも統制が及ぶようになる。さらに物価上昇が進行すると、政府は公定価格を定め、価格変動そのものを抑え込もうとした。

 その結果、公式の物価水準と実際の取引価格との乖離が拡大し、闇物価が広がっていったのである。

 戦後の混乱が強く記憶されている一方で、戦時期の生活物価の上昇については、十分に語られてこなかった側面もある。生活物資の闇物価は、終戦後に約8倍となったが、戦時期にはすでに約11倍に達していた。市場主義の行き過ぎがインフレを通じて生活を圧迫したように、国家主義の行き過ぎもまた、別の形で人々の暮らしを追い詰めていったのである。

 経済史が示しているのは、市場主義にも国家主義にも、それぞれ利点と限界が存在するという点である。