なぜ伊藤忠が中国とここまで結びついたのか
伊藤忠の創業は1858年。近江(滋賀県)の伊藤忠兵衛が麻布類の卸売業を旗揚げしたことに端を発する。その後本社は大阪に移るが、戦後しばらくまで、繊維商社としての位置づけだった。
転機となったのは1977年に経営破綻した安宅産業の経営を引き継いだことだ。安宅はかつて八幡製鉄所の指定商であり、鉄鋼部門に強い。これを引き継いだことで伊藤忠は繊維商社から総合商社への道を歩み始める。
とはいえ、それでも主力は繊維。資源や鉄鋼、自動車、飛行機など大型商材では三井、三菱、住友などの財閥系商社には到底及ばない。そこで伊藤忠が選んだのが、川下戦略だった。
繊維を卸すだけでなく、海外の有名ブランドを日本に招致、その代理店となるなどして、BtoBtoCビジネスを加速。企画・開発・製造から小売りまでの一気通貫体制を構築していった。
伊藤忠が三菱商事や三井物産を抜いて商社業界時価総額トップになったのは、この戦略によるものだ。近年、デサントやファミリーマートを子会社化したのも「利は川下にあり」を徹底した結果だ。ちなみに伊藤忠は2020年にファミリーマートを完全子会社化するが、初めて資本参加したのは丹羽氏が社長に就任した1998年のことだった。
丹羽宇一郎氏(2010年、撮影:横溝敦)
財閥系商社のやらないことをやる。中国との関係もこの文脈で読むとわかりやすい。
輸出入の総額で見た日本の貿易相手のトップは中国だが、これは2000年代後半のこと。それまでは米国が圧倒的1位の座に君臨していた。商社にとっても米国との取引はドル箱だった。人事的にも米国赴任は出世コースだった。
ところが総合商社として後発の伊藤忠にしてみれば、米国市場は財閥系の先行商社が押さえている。伊藤忠に割って入る余地はそれほどない。となれば、自ら市場を開拓するしかない。それが中国だった。