民間初の中国大使は何を背負わされたのか
急成長する中国経済をけん引したのは民間企業で、その一方で旧態依然の国有企業が問題視され、その改革が急務となっていた。丹羽体制下の伊藤忠はそこに積極的に手を貸した。これによって伊藤忠は中国政府との深いパイプを築いていった。伊藤忠は2015年に中国国有企業CITICに6000億円もの巨額投資を行うが、これも丹羽氏が築いた礎があってこそだった。
丹羽氏は中国を単にビジネスチャンスとして捉えるだけでなく、もっと深いところでの交流を求めて訪中を繰り返し、中国政界・経済界の要人との交流を重視した。肌感覚でお互い理解し、信頼関係を築くことが、日中両国のメリットとなる、との信念がそこにはあった。そして中国側も丹羽氏を受け入れた。
2010年、菅直人内閣が丹羽氏を中国大使に任命したのはこうした背景があったためだ。成長するにつれ、中国では「日本何するものぞ」の機運が生まれ、日中関係は微妙になりつつあった。そこで丹羽氏の個人的なパイプに期待したのだ。
だが、残念ながら丹羽大使の2年間は思うような成果が上がらなかった。就任直後、尖閣沖で中国漁船が海上保安庁の船舶に意図的に衝突する事件が起き、日中関係は悪化する。
さらに2012年、石原慎太郎都知事が尖閣諸島購入を表明(のちに国が購入)、丹羽氏は「実行されれば日中関係に重大な危機をもたらす」と公然と反対意見を表明したことで批判が殺到。政府は大使交代を余儀なくされた。
2012年4月、ワシントンでの講演で、東京都の尖閣諸島購入について語る石原慎太郎都知事(当時)/写真:共同通信社
この時、丹羽大使の元には脅迫が相次ぎ、北京では丹羽氏の乗った大使公用車が襲撃された。丹羽氏のすごいところは、それでも筋を通し続けたことだ。日中関係に問題が生じるたびに、公平な立場から、日本に対しても中国に対しても正論を唱え続けた。
2012年6月8日、丹羽宇一郎駐中国大使の発言を報じる中国紙新京報(写真:共同通信社)
丹羽氏は後に、日経新聞に連載した「丹羽宇一郎氏の経営者ブログ」で次のように書いている。
〈(中国大使を引き受けたことで)必ず批判を受ける局面がくることは予想できました。それでも引き受けたのはきれいごとに聞こえるかもしれませんが、国のため、国益のためです。そのために傷つき汚れてもかまわない〉(2012年12月27日付)
丹羽氏は生涯、その姿勢を貫いた。だからこそその死が公表された際、中国政府も「丹羽氏の死去に謹んで哀悼の意を表し、遺族に心からのお悔やみを申し上げる」との哀悼の意を表したのだろう。
今、日中関係は高市首相の台湾有事発言をきっかけに、丹羽氏が中国大使を務めていた時よりもはるかに悪化している。それが経済界にも飛び火し、中国はレアアースの輸出規制を開始。さらには1月末に予定されていた経済界の訪中団は、中国側が受け入れに難色を示したこともあり、1カ月延期されることになった。
日中関係改善のメドは、現時点ではまったく見えない。しかし本来であれば政治的対立が激化した時こそ、経済界が側面からサポートするべきだ。そのためには中国の要人たちとの太いパイプを持つ人材が不可欠だが、残念なことに今の経済界には見当たらない。そしてそのことが余計に丹羽氏の存在感の大きさを際立たせることになった。
2012年年9月、日中国交正常化40周年記念のイベントであいさつする丹羽宇一郎駐中国大使(当時)/写真:共同通信社






