AIが普及する世界で働く労働者への示唆
この実験は「フードデリバリー」という仕事に状況を限定したものだが、現在のAIが高度化したように見えても、現実世界ではまだ私たち人間と張り合うまでには至っていないことを示している。それは、AIに仕事を奪われるのではないかと危惧するホワイトカラー労働者にとって、心強い示唆を与えるものと言えるだろう。
AIは個別の事務作業こそ得意だが、限られた時間や予算の中で優先順位を動的に組み替える「総合的なマネジメント能力」や「臨機応変な対応力」においては、依然として人間に大きく敗北している。つまり、複雑な状況判断を伴う業務は、当面の間は人間の独壇場であり続けるということを意味する。そこで活躍できる判断力を磨いておけば、自分の仕事がAIに置き換えられることはない。
同時にこの実験は、人間が持つ「常識」や「感性」といった能力が、依然として重要なものであることを示した。AIはデータに基づかない「暗黙の了解」や「顧客の感情的な満足」を真に理解しておらず、人間なら避けるべき基本的なミスを犯す。社会的なマナーや相手の意図を汲み取った配慮、現場の空気を捉えた適切な判断は今後AIとの差別化における決定的な強みとなるだろう。
実は本研究では、人間の行動を学ばせることで、AIエージェントの効率が向上することも示されている。それはつまり、私たちの使い方次第で、AIの生産性はさらに大きくなることを意味する。そのためにはAIを脅威としてではなく、自らの判断を助ける「高度な道具」として捉え直す視点が不可欠だ。
将来的に仕事を奪うのはAIそのものではなく、AIを使いこなすことで圧倒的な生産性を手に入れた「別の人間」である。したがって、AIが苦手とする高付加価値な領域に集中しつつ、AIを作業効率化のパートナーとして活用するスキルを磨くことも、現実的で強力な生存戦略となるだろう。
もっともAIの進化を思えば、これらの戦略も、来年末には無効になっているかもしれない。AIを仕事のライバルあるいはパートナーとして常に意識しなければならない状況は、当面続きそうだ。
小林 啓倫(こばやし・あきひと)
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業、大手メーカー等で先端テクノロジーを活用した事業開発に取り組む。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』『ドローン・ビジネスの衝撃』『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(草思社)、『データ・アナリティクス3.0』(日経BP)、『情報セキュリティの敗北史』(白揚社)など多数。先端テクノロジーのビジネス活用に関するセミナーも多数手がける。
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