山本には、その精神性が色濃く重なる。効率や損得を計算した上で「やらない理由」を探すのではなく、求められれば前に出る。自らの限界を理解した上で、それでも引き受ける。この姿勢は、合理性を突き詰めた現代スポーツの価値観と、静かな緊張関係を生んでいる。
今年10月、ワイルドカードシリーズのレッズ戦に先発し、7回途中2失点で勝利投手となったときのドジャース・山本由伸(写真:共同通信社)
合理性か、献身か
MLBでは今、山本を「He’s a workhorse.」と評する声が多数を占めている。「彼は馬車馬のごとく酷使にも耐えられる投手」――つまり「スタミナ・モンスター」。これは単なる体力の話ではない。精神的耐久力、責任感、そして「逃げない」姿勢を含んだ評価だ。
MLBという極めてビジネスライクな世界で、こうした言葉が自然発生的に使われること自体が異例である。そこには、合理性が行き過ぎた現代において、どこかで失われつつあった価値への再発見がある。
MLBはデータと効率によって、最適解を導き出す巨大システムとなった。その一方で、チームのために限界まで投げる投手像、責任を引き受け続けるエース像は次第に希薄になっていた。山本は、その空白を偶然にも埋めてしまった存在と言える。
もちろん、美談だけで終わらせることはできない。WBC後のシーズンにどのような影響が出るのかは、誰にも断言できない。ドジャースが慎重になるのは当然であり、制約を設けることも合理的判断だろう。
それでも山本が示した姿勢は、単なる一選手の選択を超えている。
それは「勝つために、どこまで引き受けるのか」という問いを、MLBという巨大ビジネスに突きつけた。合理性か、献身か。効率か、魂か――。
山本は日本代表のエースであると同時に、ドジャースという巨大企業の重要資産であり、そしてMLBという市場が抱える価値観の矛盾を照らし出す存在でもある。
来春のWBC、そしてその後に続く2026年シーズンは、その問いに対する一つの答えを示す舞台となるだろう。山本が投げる一球一球は、もはや単なる勝敗を超えた意味を帯び始めている。