学校教育がつくる「休んではいけない」という呪縛

──友人が言っていたのですが、育児で時短勤務をする女性の穴を埋めるために子育て世代の男性が残業せざるを得なくなり、その男性は育児に参加できなくなる。すると、その妻も時短勤務をせざるを得なくなり、妻の職場の子育て世代の男性がその穴埋めで残業をする……という悪循環が生じているそうです。

保坂:典型的な「悪循環」=「ドミノ倒し」です。男性の育休取得率が上昇している一方、育休を取得したことで不利益を受けたという「チャイルド・ペナルティ」も増えています。

 制度が整っても、「穴」をどう埋めるかという議論が欠けているために現場が困っています。この代替要員の不在は、今もあらゆる分野で大きな課題です。

──本書のサブタイトルは「学校は休み方を教えない」です。日本人は「学校に行かなければならない」という社会的合意がとても強いように思います。

保坂:「学校に行かなければいけない」というよりも「休むことはマイナスだ」という価値観を、日本社会が育んできたと私は感じています。

 例を挙げると、系列大学につながる私立高校では、その大学への推薦は、「欠席」が少ないほど有利になるという実態があります。また、高校の就職指導で一般的な「1人1社制」では、欠席日数が少ない生徒が優遇される傾向にあります。

 このように、日本では「休むとマイナス」「休んではいけない」という雰囲気が作られてきました。そのような意識を刷り込まれた子どもたちが成長し、大人になってもその呪縛を引きずってしまう。これは日本社会独特のものと言えるでしょう。

コロナが変えた「休む」判断の主体

──新型コロナウイルスのパンデミックにより、「休むこと」に対する考え方に変化が起きているとありました。

保坂:大きな変化は、「休む判断の主体」が学校から家庭(保護者・児童生徒本人)へ移ったことです。

 本来、学年・学級閉鎖、学校休業の判断は学校や教育委員会が行ってきました。しかしパンデミックでは、感染してしまう不安から、家庭(児童生徒)が自主的に「休む」と判断するケースが相次ぎました。

 これを受け、文部科学省は感染不安を理由に登校を控えたいという家庭(保護者・児童生徒)からの相談があった場合、校長の判断によって「出席停止」、つまり欠席としない対応も可能になりました。

 最近の事例では、無差別殺傷事件発生時の対応です。2024年12月に北九州市で、2025年1月にJR長野市駅前で殺傷事件が起こった際、各市の教育委員会が、事件を理由に不安を感じ登校を控えた児童生徒を欠席扱いにしないという措置をとりました。学校側が一斉休校にするのではなく、「学校を休む」判断を各家庭に任せたのです。

 連日報道されているクマの出没や、大雨(線状降水帯予測)の発生など、地域ごとのリスクで家庭の判断で休むことを欠席扱いにしない対応が広がる可能性があります。