熱心なファンと富裕層が中心になるスポーツ視聴
英国やドイツなどで行われた調査では、若年層ほどスポーツ放送サービスへの関心が低く、価格に敏感であるという結果が出ている。この結果からあるコンサルティングファームは、「スポーツ放送の関連性が低下し、若い視聴者が離れつつある」「価格の『ハイパーインフレ』が多くのファンを競技から遠ざけている」と指摘している。
また前述のDAZNの料金高騰に対しても、「度重なる値上げはライトなスポーツファンの離脱や、新規ユーザーの獲得を妨げる要因となっているという」との指摘が報じられている。
さらに、こうしたトレンドが続いた場合、スポーツ文化自体が縮小しかねないとの長期的リスクを指摘する声もある。
料金の高騰によって若年層やライト層が離脱した場合、彼らはSNS等を通じて試合結果やダイジェストを見ることはあっても、試合全体を見る機会は確実に減っていく。それは「試合開始から終了まで見ることが減る」と同時に、「地味だが試合を決めたプレイ」のような、細部に注意が向けられる機会が減ることも意味する。
そうした経験をしていない世代が増えれば、将来のコアファン、あるいは選手の技能向上を後押しするような「目利きのファン」が減少することになるだろう。それはその競技全体の衰退につながりかねない。
また、仮に高額な放映権料がリーグを潤すとしても、それを実現できる競技や団体ばかりではない。高額な放映権を売れるリーグだけが強くなり、他のリーグは露出も資金も不足する恐れがある。そうなれば、リーグや競技、地域間での格差が拡大することになりかねない。
さらに視聴料が過度に高額になれば、かつて地上波で誰もが見ていた試合が、一部の契約者だけのものになってしまうだろう。そうなれば、社会における「共通の話題」が失われることになる。
スポーツは本来、「誰でも楽しめる公共的な文化」だった。高額化によって、それが一部の熱心なファンと富裕層中心の娯楽へと縮小してしまうなら、長期的にはリーグやクラブ自身にとってもマイナスになりかねない。
こうしたメリットとデメリットのバランスをどう取るのかが、スポーツ団体やチームの運営、ならびに試合の配信を手掛ける企業に問われることになるだろう。
スポーツといってもビジネスである以上、事業の継続と利益を追求するために、一定の料金をその視聴者や観戦者に課すというのは当然の判断だ。しかし文化としてのスポーツ観戦体験を維持するという姿勢も、関連する各企業には求められるのではないだろうか。高額化する料金に見合う視聴体験、ひいては「文化体験」が実現されるよう期待したい。
小林 啓倫(こばやし・あきひと)
経営コンサルタント。1973年東京都生まれ。獨協大学卒、筑波大学大学院修士課程修了。システムエンジニアとしてキャリアを積んだ後、米バブソン大学にてMBAを取得。その後コンサルティングファーム、国内ベンチャー企業、大手メーカー等で先端テクノロジーを活用した事業開発に取り組む。著書に『FinTechが変える! 金融×テクノロジーが生み出す新たなビジネス』『ドローン・ビジネスの衝撃』『IoTビジネスモデル革命』(朝日新聞出版)、訳書に『ソーシャル物理学』(草思社)、『データ・アナリティクス3.0』(日経BP)、『情報セキュリティの敗北史』(白揚社)など多数。先端テクノロジーのビジネス活用に関するセミナーも多数手がける。
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