立法措置に慎重であるべき理由

 国旗損壊罪の新設に際し、賛成を主張する者がしばしば引き合いに出すのが、刑法第九十二条「外国国章損壊罪」の存在である。

刑法第九十二条
(外国国章損壊等)
第九十二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

 この条文を根拠にしながら、「外国の国旗は守るのに、自国の国旗を守る法律がないのはおかしい」という素朴な疑問や、「法の不均衡」を指摘する声が上がっているのだ。

 刑法第九十二条の法益(法律によって守ろうとしている利益)はいったい何なのだろうか。

 何より外国の利益ではないことが重要だ。通説的な見解では、刑法第九十二条が保護しようとしている法益は、損壊された「外国」そのものの利益や名誉ではなく、「日本と当該外国との良好な外交関係(外交的利益)」であり、要するに「日本の国益」であると考えられてきた。

 日本国内で他国の国旗が公然と侮辱され、それを日本が放置した場合、当該国との外交関係が悪化し、ひいては日本の国益を損なう恐れがある。それを未然に防ぐために設けられた規定だと考えられている。

 この条文が「日本の国益」を守るためのものであることは、第2項によって、より明確になるだろう。というのも、「外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない」とされ、いわゆる「親告罪」になっている。

 日本国内での国旗損壊行為に対し、当該外国政府が「問題ない」あるいは「内政干渉と受け取られることを避けるため、あえて請求しない」と判断すれば、日本の検察官は起訴することができないことを意味する。

 もしこの条文が純粋に「外国の尊厳」を守るため(あるいは「日本の道徳」を守るため)のものであれば、外国政府の意向にかかわらず処罰できる非親告罪(あるいは日本政府の判断)でよいはずである。しかし、あえて親告罪とすることで、外交上の駆け引きや配慮の余地を残しており、本条が極めて外交的、政治的な性格を持つ、抑制的な法律であることを示唆している。

 さらに、この刑法第九十二条が戦後の日本において実際に適用された判例は、極めて稀である。そして、このような複雑で抑制的な刑法第九十二条と、これから新設されようとしている日本国旗損壊罪とを、単純に「バランス」や「不均衡」という言葉で比較することの危うさを感じる。

 実質的にほとんど機能していない(あるいは、外交問題化することを恐れてあえて機能させてこなかった)刑法第九十二条を根拠にするのであれば、むしろこちらを削除してバランスさせるという考え方もあるのではないか。

 国旗損壊罪の新設に反対する、より直接的な理由は、憲法第二十一条が保障する「表現の自由」との関係性である。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 国旗損壊罪を新設しようとする法案(2025年の参政党案や、過去に自民党有志らが検討した案)の多くは、刑法第九十二条の構成要件をなぞる形で、「日本国に対して侮辱を加える目的で」国旗を損壊・汚損等した場合に処罰する、という構成をとっている。この「侮辱目的」という要件こそが、表現の自由を著しく脅かす危険性を有している。

 国旗を燃やしたり、破いたり、汚したりする行為は、それ自体が特定の政治的メッセージや思想を表明するための象徴的表現である場合が少なくない。政府の政策への強い抗議、国家のあり方への根本的な疑問、あるいは特定の歴史認識への異議申し立てとして、あえて国旗という国家の象徴を対象とした表現行為が行われることがある。

 もし国旗損壊罪が新設されれば、統治機構や司法当局といった権力(要するに警察や検察)は、その行為が「侮辱目的」であったかどうかを判断する基準と尺度を設け、判断を行う必要に迫られる。しかし、何が「侮辱」にあたり、何が「芸術表現」や「正当な政治的抗議」にあたるのか、その線引きは極めて曖昧である。