小泉家との交流

 エリザベス・ビスランドは、1911年、夫チャールズ・ウエットモアとの世界旅行の途中で、日本を訪れ、西大久保にある小泉家に立ち寄った。

 1915年に大正天皇の即位式参観のため、夫と共に来日した際にも、小泉家を訪問している。

 夫が1919年に病死すると、ショックのあまり重度の鬱状態に陥ったものの、1922年には4回目(ハーン没後は3回目)の来日を果たし、松江の小泉八雲旧居を訪れている。

 その後、エリザベス・ビスランドはワシントンからジュネーヴ、ヴァージニアに居を移し、1929年1月6日、肺炎のために67歳で亡くなった。

 そして、ニューヨークで葬儀が行なわれた後、夫チャールズ・ウエットモアが眠るウッドローン墓地に葬られている。

 ハーンに日本行きを勧めたのは、エリザベス・ビスランドともいわれる。

 エリザベス・ビスランドは、ハーンや小泉セツの運命を変えた女性なのかもしれない。