世界一周競争に挑む
1887年、エリザベス・ビスランドは仕事の幅を広げるために、ニューヨークに居を移した。
翌年には多くの新聞や雑誌に記事を書き、コスモポリタン社の編集者となっている。
1889年には、「世界一周競争」に挑むことになる。
この年の11月14日、ニューヨーク・ワールド誌が、女性記者ネリー・ブライを世界一周旅行に派遣すると発表した。
すると、これを受けてコスモポリタン誌も、エリザベス・ビスランドを世界一周旅行に送り出すことを決定。
エリザベス・ビスランドとネリー・ブライは、どちらが早く世界一周を達成できるかを競争することとなったのだ。
ニューヨークから東回りで旅立ったネリー・ブライの8時間30分後に、エリザベス・ビスランドは西回りで、世界一周旅行に出発した。
派遣決定から、僅か6時間後のことである。
この世界一周にあたって、エリザベス・ビスランドは、横浜でアメリカ海軍のミッチェル・マクドナルドと知遇を得た。
後にエリザベス・ビスランドは、このミッチェル・マクドナルドをハーンに紹介している。
ハーンは1890年に日本を訪れた際に、ミッチェル・マクドナルドの援助を受け、二人は親友となっている。
なお、エリザベス・ビスランドは76日19時間48分、ネリー・ブライは72日6時間11分で世界一周を成し遂げており、競争はネリー・ブライの勝利で終わった。