妖精の女王

 1891年10月6日、エリザベス・ビスランドは、ハーバード大学出身の裕福な法律家であるチャールズ・ウエットモアと結婚している。

 エリザベス・ビスランドは30歳、チャールズ・ウエットモアは37歳であった。

 一方、ハーンはエリザベス・ビスランドの結婚時、松江で小泉セツと暮らしていた。

 この頃から二人の交友は一時的に途絶えるが、1900年に文通が再開された。

 文通が再開された後、ハーンはエリザベス・ビスランドに、アメリカでの職探しを依頼している。

 エリザベス・ビスランドは、ハーンの願いを叶えるために尽力し、コーネル大学での連続講義を準備した。

 ハーンはそんなエリザベス・ビスランドを「妖精の女王」と称している。

 1904年9月26日にハーンが没すると、エリザベス・ビスランドはハーンの妻・小泉セツに心のこもった手紙を送った。

 ハーンの友人たちの強い勧めにより、1906年2月に出版されたハーンの書簡集『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』の、編集という大役を果たしたのも、エリザベス・ビスランドである。

 なお、この本が生み出した収入は、すべて小泉家に贈られたという(小泉八雲記念館『小泉セツ ラフカディオ・ハーンの妻として生きて』)。